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第34期竜王戦第4局〜豊島竜王の99分〜

2021年も残りあと4日。第34期竜王戦のドラマティックな幕切れの舞台となった山口県宇部市で過ごした3日間の事を話さずには、私の一年は締めくくれない。私が宇部まで応援に駆けつけ、目にした光景をお伝えしたい。

頑張る姿に心打たれ、応援したくなるかたは常にいる。オリンピック等ではいつもにわかファンとなって感情移入している。そして注目や露出が減っていくと共に緩やかに記憶も薄れていく。最初は私にとって将棋棋士豊島将之先生もそういう存在だと思っていた。

しかし熱しやすく冷めやすい私にしては珍しく、夏から冬へと季節が移り変わってもなぜか豊島先生の事だけはとても他人事のように思えなかった。先生に共感できるほど何かに打ち込んできた自信があるわけでもなく、先生が家族に近しい世代で親近感を持てるわけでもない。

それでは私はなぜこの青年の夢が叶いますようにと、こんなにも強く願ってしまうのか。私はずっとその答えを探していた。

7月に竜王戦の対局場が発表された時から、せっかくなので私がまだ訪れたことのない宇部市で観戦しようと決めていた。第4局は七番勝負の折り返しで、ここが決着局になるとは思わず、少なくとも第6局の指宿あたりまでは勝負が続くと考えていた。

空路宇部入りした11月12日は風が強く吹いていた。エヴァンゲリオンの事は全く詳しくないのだが対局場最寄り駅の宇部新川駅は映画にも登場した聖地らしい。私の住む北陸と違い駅前のヤシの木が南国らしさを物語っていた。

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宇部ラーメンの洗礼(とても美味しいのだが豚骨の匂いがすごくてこのあと人に会うのが不安だった)を受け、大盤解説会場である渡辺翁記念会館へ向かう。開場まで2時間、ABEMAの中継を観ながら入場列に並んだ。

初日は2時間並んだ甲斐あって最前列に座れた。大盤前の特等席で解説の先生方もすぐ側で拝見することができて感激だった。2日目は10時の開場時刻通りに到着したところ、すでに100人程が並んでおられ、ホール真ん中あたりの席に座った。視力に自信の無いかたは朝並んで大盤に近い席をお勧めしたい。

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大盤解説会は2日間とも千両役者揃い。福崎文吾九段、脇謙二九段、畠山鎮八段、大橋貴洸六段だ。女流は村田智穂女流二段が華を添えていた。吉本お笑いライブ並みにお金を払ってでも観たい福崎文吾先生は話芸の達人。柔らかい関西弁でのトークに会場は喝采や爆笑の渦に包まれた。

ベテラン脇先生、浪速の師匠こと畠山鎮先生も抜群の安定感。大橋先生は声も姿も全てが癒しだった。登場されるたびにうっとりしてしまう。村田先生は機転のきく笑顔いっぱいの聞き手ぶりでいつもながらに聡明で好感度抜群だった。

楽しい、嬉しい。2日目の最終盤まで対局の緊迫感はこの会場には無く、私は思い切って会場観戦を決めて本当に良かったと思った。自宅観戦だと豊島竜王に勝ってほしい思いが強すぎて、自分が参ってしまいそうだったからだ。

長年不断の努力を重ねてきた豊島竜王がついに手にした竜王の座を、実力が全てとはいえ驚異的なスピードで次々とタイトルを奪取し続ける藤井三冠に簡単に明け渡す訳にはいかないと思った。

誤解の無いように申し上げると私はわざわざ北陸から上京してまで聡太先生の将棋を観に行くほどのファンでもある。それでも、豊島竜王には竜王の座だけは死守されることを切に願っていた。

加速度的に勢いづく新鋭に窮地に追い込まれるも、重ねた努力と経験が実り、逆転で勝利を収める。そんなハッピーエンドであってほしかったのだ。

そして迎えた最終盤、12月12日に放送されたNHKスペシャル「四冠誕生 藤井聡太 激闘200時間」で詳しく描写された105手目☗4三桂成を指すまでの豊島竜王の99分の長考が始まった。

大盤ではその間、大橋先生が一生懸命に何通りも手順をシミュレーションしていた。「この評価値多分間違ってますね」「この変化も先手(豊島竜王)の負けですね」不穏な事を仰るのだ。

大橋先生が何パターン検討しても先手勝ちの筋がなかなか発見されない。それはきっと長考していた豊島竜王も同じように必死の思いで勝ち筋を探しておられたのだろう。確かにこの時ABEMAの評価値は一時的に70:30くらいまで豊島優勢を表示していたが、この数字は違うのだと。

評価値ほど当てにならないものはない。私は目の前で実際に駒を動かしながら考えている大橋先生の説明のほうが正しいと感じた。そうだとしたら。不安な気持ちが背中をよぎる。そして豊島竜王は109手目、☗5五銀か☗3五桂かの二択で、☗3五桂を選択された。

王手をかけつつ後手玉の中段への進出を防ぐ味のいい手のように思える。しかしまさに運命の歯車が動き出すかのように、この一手が明暗を分けることとなった。

私は当初からこの局面の報道のされかたに違和感を感じていた。豊島竜王が敗着を指し、藤井三冠だけは読みきっていたと表現する記事が多かったように思う。その一例を挙げてみる。

『藤井新竜王誕生 最終盤で生じた神がかり的な詰み 第34期竜王戦七番勝負第4局』(マイナビニュース11/15(月) 12:11配信)よりhttps://news.mynavi.jp/article/20211115-2188108/

渡辺明名人がツイッターで「すごい詰み」とつぶやいたほどの順で、まさに神がかりと言えるでしょう。

「神がかり的な詰み」は藤井三冠が狙ってその局面に誘導したわけではない。渡辺名人がすごい詰みとつぶやくほど、豊島竜王の☗3五桂をきっかけとして20数手と長手数の詰みが偶然にも発生したというのが正しい。

また、終局後に杉本師匠が「相手(豊島)の長考中に完璧に読み切った」とたたえるコメントをしておられたが、終局後インタビューで藤井新竜王本人が仰った通り、99分の長考中に自分の勝ちを完璧に読み切っていたわけではないというのが事実だ。

竜王戦中継plus「記者会見」よりhttps://kifulog.shogi.or.jp/.s/ryuou/2021/11/post-1155.html

―104手目△8七飛成に対し、豊島前竜王が長考している間に考えたことは? 藤井 飛車を成ったところは自分が勝つのは厳しいと見ていたのですが、自玉が詰むのか詰まないか、そういった希望もあるので、負けを読みきっていたわけではありません。―分からなかった? 藤井 こちらが負ける変化が多いとは思ったのですが、先手はどの変化がいいのかまでは分かっていませんでした。

藤井三冠が読みきって自分の勝ちを確信したのは、この記事によれば112手目☖5六桂をノータイムで指した時だと書かれている。

読売新聞オンライン2021/12/26 05:00配信よりhttps://www.yomiuri.co.jp/igoshougi/ryuoh/kansenki/20211223-OYT8T50067/

 藤井三冠「△5六桂以降は、読み抜けがなければ勝ちと思っていた」

この最終盤は竜王と三冠、文字通り将棋界のトップに立つお2人をもってしても頭を抱えるほどの難解な局面だった。104手目以降の数手は、お2人が一緒になって長考しながら、渾身の力を振り絞って放った手なのだ。

決して一方的に藤井三冠だけが勝ち筋を読みきり、豊島竜王がそれに気づかずに局面を進行させていたわけではない。どちらが勝ちに近づくのか。明解な手順を必死に探し求めていたことは、お2人の最終盤の表情が何よりも雄弁に物語っている。

最終的にヨーイドンのビーチフラッグのような読み合いのなかで、わずかに先に旗を手にしたのは藤井三冠だったが、そこに至るまでの熾烈な戦いは、息詰まる中にも感動しかなかった。

藤井三冠がいともたやすく切り抜けたわけではないという事だけは、対局をリアルタイムで見届けた人間としてどうしてもお伝えしたい。

藤井三冠の猛攻に、ついに豊島竜王の本丸が炎上する。十数手先に詰み筋がある事をみとめた豊島竜王は見苦しく抗うことをせず、ここで潔く投了する事をご自身で決断された。世界一美しい投了姿勢で投了を告げ、大盤解説会場ではどっと拍手が沸き起こった。

私はその瞬間、世界から音が消えたように感じた。最年少四冠、藤井聡太竜王誕生だ。会場の興奮と高揚感にすぐにはついていけなかった。

しかし、終わったのだ。長かった豊島竜王と藤井二冠の戦いに決着がついたのだと、放心状態の中で徐々に現実が胸に迫ってきた。豊島竜王、最後まで見事な戦いぶり、本当にありがとうございました。私は祝賀ムードの会場の中でひとり静かに涙を流した。

決して悔しい涙ではなかった。強敵と歯を食いしばって約半年間を戦い続けた豊島竜王に、本当に重圧に耐えながらよくぞ頑張ってくださったという気持ちがとめどなく溢れてきた。

一番最初の問い、私がなぜここまで豊島先生を応援してしまうのかの答えはおそらく、「豊島先生が現代に生き残る武士」だからだ。

メガネをかけ細身のスーツがよく似合いPCを巧みに使いこなす。どこから見ても現代の若者をつかまえて何をいうのかと思われるだろう。しかし、ずっと豊島先生に注目し続けてきて気づいたのは、貫かれる武士道のようなブレのない信念なのだ。

最終盤、ご自分が2時間以上残しているのに対し残り9分となっている藤井三冠に、時間攻めを絡めて巧妙に指し回すことも先生の能力を持ってすれば決して難しい事ではなかったはずだ。

しかし最善の一手を指すために99分費やしての長考を選び、実質的に藤井三冠に時間を渡した。それはまるで、刀の折れた相手にもう一度刀を握らせてから戦いを挑む武士道精神そのものではないか。

豊島先生のこの誇り高さ。物静かな佇まいの内に秘められた勇猛な武将のような魂。それが私にとって豊島先生が将棋棋士の中でも尊敬する存在であり続ける理由なのだ。

対局を終えた翌朝の14日、私は宇部新川駅から新山口駅へと向かった。帰りは陸路だ。各駅停車にゆられて車窓から宇部市の街並みを眺める。到着した日とはうって変わって、晩秋の雲ひとつない晴天が広がっている。私の住む北陸ではこの時期滅多に見られない。

豊島先生に出会わなければ、こんなに遠くまで来ることも無かっただろう。私の人生にまたひとつ、深く胸を震わせた思い出を刻むことができて幸せだった。豊島先生の未来はきっとこの空のように再び明るく晴れ渡るはずだ。そんな気持ちで美しい青空を見上げた。



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