孤独ってなんだ?
リモートワークが解除されて、また通勤が始まり、日々に忙殺されて、日記が滞ってしまった。
書きたいな、が、いつのまにか書かなきゃ、になり、さらにグダグダしてるうちに時間がびゅんびゅん過ぎていく。
これはよくないループだ。そして何か始めた時のお決まりのパターンでもある。
ひさしぶりに書き出すと、言葉を飾ろうとしすぎて5分くらいで書くのをやめたくなる。
書くことにはいつも痛みが伴うし、本当は心の底からめんどくさい。
もーぶっちゃけ考えるの、めんどくさい。
お腹すいた→食べる、眠い→寝るの繰り返しで生きていけたらどれほど楽だろう。
だけど、やっぱり考えることはやめられない。
そして書くことも。
仕事でお世話になっている、ばりばり現場で働いてきた元新聞記者の人が、うまくなくてもとにかくスピードを意識して、毎日書くことだ、と言っていた。
もう現時点でミスってる。
毎日更新はむずい。
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ささいなことで、神様にすぐ感謝してしまいそうな調子がいい日々が続いていたかと思ったら、急に谷底に落とされたようなフェーズに入る時がある。
それが今。
ちょっとした誰かの言葉や態度に疑心暗鬼になり、わたしのなにかがすごく間違っていたのかもしれないと考え込む。
その勢いで妙なラインを送りつけてしまったり、送信取り消ししたり。なんなんだわたしは一体。
ちょっと前までにこにこ笑えていたのに、自分ですら気付いていなかった心の奥底の小さな不満に気付いてしまい、どうにかわかってもらいたくて、生の感情を人にぶつけてしまう。
人間関係も、会社も、関係性が長く、濃くなればなるほど、少しずつ取り返しのつかない汚れが広がっていくような気持ち悪さがつきまとう。
もう少しだけ、人との関係性に寛容になれればいいんだろうな。
相手を好きな時も嫌いな時もある、感謝してるけど、めんどくさい時もある。
相手に清廉潔白な気持ちを期待してしまうから、ちょっと息苦しくなってしまう。
自分だってよくよく考えれば、清廉潔白じゃないのにね。
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こういう谷底にいるような時、
ひとりぼっちのお作法としてタブーなのは、自分の感情を包み紙にも包まず、そのまま人にぶんなげることだと思う。
混乱したまま、相手に感情がおさまる方法をゆだねてはいけない。
これが守れればあなたもひとりぼっち検定2級だ。
イケトシイケルモノ、みんな別々の個体で、日々それぞれのことで心を砕いている。
どうでもいい相手のことを考える時間があれば、正直酒飲んでたい。だってわたしがそうだもん。
だからこそ、日々の生活の中で、誰かが「元気?」と声をかけてくれたり、温かいものを作ってくれたりするのはとても心があたたまる。
心地良すぎて、その優しさにどっぷり浸かってしまいそうになる。
そして、それはちょっと危険だ、と思ってもいる。
暗い淵をのぞき込むような「寂しい」という感情は、人間としての標準搭載で、じつはとても大切なものなんじゃないだろうか。
ひとりぼっちはデフォルトで、誰かがいてくれる時間がどれだけ素敵か忘れないようにするための。
ひとりぼっちになりたくない気持ちを埋めるために、誰かを利用してしまわないための。
誰かではなく、今、「あなた」と一緒にいたい、という大前提を忘れないための。
逃げても逃げても影みたいに追ってくる孤独と戦い続けることが、生きることのような気もするし、
その中でたまに出会う、誰かといるほんの少しの満たされた時間はやっぱりギフトだ。
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ひとりぼっちたちが少しずつ補い合ってたのしく暮らせる世界線を作りたい。
身の周りだけでも。
結婚でもなくて、同棲でもなくて、シェアでもなくて、良い距離感でいろんな人と助け合って暮らせるライフスタイルが街の中でもっと確立されれば、みんな、この迫りくる孤独から解放されるんじゃないか。
とか、モヤモヤと考えている雨の土曜日。
そういえば、最近小樽に仕事で行きました。
雪、近くで見たら意外と汚い。
でもこれくらい汚れてる方がなんかホッとする。きれいな雪を汚さないように歩くのは無理なんだし。
そして、荒れ狂う冬の海を見たらなんだか気持ちがすうっとした。
寿司はやっぱりうまかったです。
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