義姉が残したお料理ノート

先日、私のInstagramを見た方から、Twitterに設置していた質問箱に「あなたは料理できるの?」など、私がInstagramにポストしている写真を見て、大変失礼な投稿が続いた。

ひとつは答えたけれど、かなりしつこくきたので、質問箱を閉じた。周りからも「なんて質問を!」など反響があった。

その時は「私は大丈夫」と思っていたけれど、どんどん「自分の料理はまずいのか?」「苦手な料理があっても普通じゃないの」と落ち込んで、体調を崩してしまった。

たまたま、実家からかなり離れたところに住む兄から、オーストラリアの研修旅行のお土産のお礼電話がきたので、相談してみた。

そういう奴はほっとけ

この一言だった。ちなみに、兄の家庭は6年前に、義姉が6年間の治療の末に乳がんで亡くなって、ふたりの姪っ子(現在は高3と中2)の3人で生活している。

最初は、ステージ2で部分摘出で済んだのに、どんどん進行していき、最終的には全身転移になった。亡くなったのは本当にあっという間で、私や実家は、全身転移で緩和ケア専門病院に入院したことは、亡くなる3日前に知った。

葬儀の時の兄は荒ぶっていて、もう暴言は吐かれるし、四十九日法要や3回忌法要の時は、兄とどうつきあうべきか悩んだ。

しかし、先にお嫁さん(仮にりこさんとしておく)が自分より先立つなんて、しかも私の今の年齢で亡くなるなんて、想像もつかなかったし、亡くなってからの生活をどうしようか、相当悩んだであろう。

最近、実家での問題で、どうしても兄に相談することが増えてから、話をしやすくなった。

りこさんが亡くなってからは、家のことはどうしていたか?

自分が泣いている暇もなかったから、まず家族3人で、分担を決めて、生活することにした。りこさんの両親は早くに他界しているので、近所に住む、りこさんのお兄さんのお嫁さんが、病気だけれども週1で、日持ちのする料理を作りにはきてくれていた。

料理は全て兄が作っていたけれど、兄の役職上、海外出張(開発技術職)が入ったり、日本国内を飛び回ることも多いので、子供達ふたりだけでの食事をする期間はあったという。

今は、二人とも中学生と高校生で、同じ塾の中等部と高等部に入っているし、兄の会社はフレックス制度でもあるので、早めに帰ってきてご飯を作れる日は作っている。

その料理を作る時に、亡くなってからしばらくの間は、りこさんが大量に残した「お料理ノート」を参考にして、兄が夕飯を作っていたという。

運動会も、下の子が小学校の時は、お弁当を作って3人で食べていたという。

兄は、ボーイスカウトに入っていたから、簡単な料理はできるし、アメリカ駐在の時に、上の子をりこさんは出産して、産後うつになったので、早めに帰ってきては、料理ノートを見ながら作っていたと、後で聞いた。

りこさんが残したノートは、合計10冊。そのほかにも、気になる料理が載っている本が5冊。新聞や雑誌で気になった料理は、すべてスクラップにして、ノートとしてまとめていた。

兄は、今ではすっかりお料理が上手になったけれど、なるべく子供達に「自分たちで料理を作るように」と仕向けているものの、上の子は、寝坊してしまった時は、冷食をそのままお弁当箱に詰め込んで、温かいご飯の余熱で、お昼には解凍できるからいいのだと、かなり新手の手抜きテクを身につけている。

姪っ子二人とも、お母さんがいない生活に順応はしているものの、女性の相談相手で身近な「お母さんがいない」ということについては、しょんぼりはしている。

亡くなる6年前よりさらに前は、りこさんは元気だったわけだし、入退院を繰り返しながらも、体調のいい時はご飯をきちんと用意していたから、お母さんがいない悲しみや辛さは、私の中ではどれほどのものかはわからないけれど、さみしいのは当然だろうと思う。

兄も精一杯頑張っているようで、実家にくると、ぐったりして寝ているしかしていない。仕事と家事、洗濯や子供達の将来を考えれば、一人で何もかもしなければいけないのだから、その苦労は、想像もできないぐらい、大変だと思う。

兄は、しばらくの間は、私とは一切口を聞かなかったけれど、最近話せるようになった時に、ふと話してくれたことは、「りこの料理ノートがなければ、もうダメだったと思う」と話してくれた。

いつも作ってくれていた美味しい料理を、自分が子供達に食べさせる自信なんてなかったし、将来お弁当を作るとしても、どうしていいか困ったという。結局は、ダイナミックなお弁当で上の子はしのいでいるので、それもありなんだと。

我が家は、私が持病を抱えながらも、ご飯を作っているけれど、私がいなくなったら、家族はどんなに悲しむだろうとふと考える。

たまたま、旦那が私の持病がひどい時に、クックパッドや私が購入していた料理本を参考にして、私が作っていた味を思い出しながらも、頑張ってくれていた。(今も週末に作ってくれる)

家族で、もし料理を作ってくれる人が、突然永遠に会えなくなったら。
その人の笑顔を見ることをできなくなったら。
それはとても悲しいことだ。

私も、今回の件で、もうすっかり自信を失って、もうかなり思いつめた。

でも、「実は、参考にさせてもらっていたんです」「どうか元気を出して」という励ましをもらえたから、また持病を持ちながらも、頑張って家族が喜んでくれる料理を続けていこうと、再起動した。

ここで、断っておきたいのは、「難しい料理ができるなんて料理の下手と上手いに関係なし」「凝った容器に入れていても、味が伝わらない」「質素な料理の方が貴重な料理になってきている」ということがちらりと見えた。

昨日、フォロワーさんでダイナミックな手法でお料理を作られている方のポストがあったので、質問してみると「いやー、これ結構いいですよ」と、その人によって、作る方法が違うということも勉強になった。

でも、りこさんが残した「お料理ノート」は、今、上の子が通塾の合間に、見ながら作ろうとしているらしく、その姿はりこさんによく似ているそうな。

私は、我が子にそういうノートを残している最中で、嫁に行くか、一人暮らしをするかという時に役に立てるように、少しずつ書いている。

「母から子」への料理の引き継ぎは、実は「妻から夫への味の引き継ぎ」にもなるので、なんらかの形で残しておくと、その人をずっと思いながら、生きていけるし、さみしくない。

愛した人の残したものは、どういう形になるかはわからないけれど、料理ほど、最強なものはないだろうと、最近思うようになった。

話は長くなったけれど、最後まで読んでいただけた方には、感謝です。
ありがとうございます。


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