「フォレスト・ガンプ」を何回も観て思うこと
今まで全く興味がなかった映画やアニメの会員制配信サービスを、ようやく利用するようになった。
AmazonかNetflixか迷ったけれど、海外映画が好きで吹き替え版は好きではないので、字幕なしかありかを選べるNetflixを利用するようになった。
私が小さい時や学生時代は、海外映画といえば字幕版しかない時代だったので、吹き替え版を見るとなると、テレビ放送版になる。
さて、私がNetflixを利用するようになって、何回も観ているのは、「フォレスト・ガンプ」だろう。
他にも洋画では「マトリックス3部作」「ラ・ラ・ランド」などは観ている。でも、何回もみるのは「フォレスト・ガンプ」だ。
Amazonのプライムビデオでも見れるので、そちらでも鑑賞できるんのでご安心を。
彼は生まれつき軽い知的障害があり、足が不自由だった。ふとしたことで足の不自由が消えて、様々な奇遇に恵まれることになる。
お母さんは、ある日彼に人生がどうなるかを語った。
「人生はチョコレートボックスのようなもの。かじってみなければわからないことがあるのよ」と。
幼馴染のジェニーとは、引かれたり離れたりの繰り返しで、ようやく会えた時には、もう余命いくばくもないこと、そして、ある日、一夜を共にした時に、子供ができて成長していたこと。
まさしくチョコレートボックスの世界を彼は味わって、最後は子供と二人行きていくことになる。
お母さんが亡くなる前のエピソードに、「人生にはいつか終わりはあるのよ」という言葉ある。
これは、今の私達の生き方への警鐘のようにも聞こえた。
一生懸命お金を稼いで、裕福になろうとしても、人生には終わりがいつかはやってくる。そのお金は天国にも地獄にも持っていくことはできない。
最近、ちらっと読んだ五木寛之先生の本にも「人間というのは、いつか人生の終止符を打つ時があるんですよ」ということが気になった。
そうだなぁ、よりよく生きて、辛いこともたくさんあるけれど、人間らしく、最後は笑顔で天国に生きたいものだ。
そして、自分の愛する人が一生涯そばにいれば、それはこの上ない幸せだと思う。「フォレスト・ガンプ」の中でも、フォレストは、ジェニーだけを一生涯愛し、忘れることはなかった。
私は計算高い人でもないし、今までの人生の中で、失敗の繰り返し。成功したという話を聞けば、かなり落ち込む。
でも、何か信じれるものがあれば、思うことがあれば、人は死ぬまで希望を失わなければ、生きていけるんだと思う。
多少の脚色はあるものの、「フォレストガンプ」は、一人の人を愛し抜いて、人生について誠実に生きた人の話でなんども観てしまう。
最近、暴力的なものから大切なものを見出す筋書きのものが多いけれど、ほんわかとした流れで、「人生とはなんぞや」という映画は、心打たれるし、何回でも観たい。