楽しみたいことを「義務化」にしないでね
先週あたりから、先月提出できなかった10月分と今月11月分の習字の課題であたふたしながらも、良い作品が書けないか必死のぱっちになっています。
習字は幼稚園・年長から中学1年初めまで毛筆・硬筆を学び、大人になってから習い直しを始めたのが今から5年前ぐらいになります。
教室を開きたいとは今は考えていなくて、好きなことを今のうちからやっておいて、老後の手遊びみたいにできたらいいなぁと思って、大人から習い直したわけなんです。
自分なりに楽しみたいけれど、やっぱり人間だから上達したいし、昇級段も楽しみのひとつ。
なかなか昇級段ができなかった時は、もうやめようかと思ったけれど、本部の方に相談してみると「ペンさん、大丈夫ですよ。焦るかもしれませんが、マイペースでいいし、昇級のペースを拝見してもごく普通なので安心してください」と言われ、マイペースに続けていけてるんですよね。
いつからかは記憶がないけれど、Twitterで書写のお手本を提供するアカウントが増えて、お手本を見ながら作品を上げている方々が増えました。
書写と聞いて、ペン字も習っている私は、一度書写アカウントのお題にチャレンジするようになっていきました。
書写専用アカウントを作って運用していましたが、今はたまにしかお題に挑戦しないようになりました。
それは、なんだか「書写のお題を書くことが義務化している」と気づいたからです。
毎日書き続けると上達することは確かに間違えではありません。
私なりに工夫をして練習して、作品を書きました。
書きやすいと思うペンもたくさん買いました。
書いていても楽しくないし、なんだか無駄に筆記道具を買い漁る自分が情けなくて虚しくなったのです。
「今取り組んでいる習字が嫌いになってしまう。これはいけない!」
思い切って、Twitterの書写のお題を書くのをやめて、習っている習字に集中しようと決めました。
今朝、こういうツイートを書いたのですが、楽しんでいることを「絶対やらなきゃ」って義務化してしまうと、心も字もぐちゃぐちゃになるんですよ。
メインで習っている方にも影響が出て、ペン字課題がもう恥ずかしいぐらい崩れて修正に時間がかかりました。
私の性格の問題ってのはあると思うんですけれど、脳内で音楽が流れてて、気楽な気持ちで書いているぐらいが楽しく、書く道具だってどんなものでもよいわけなんです。
脳内の音楽もハードロックじゃなくて、オルゴールが鳴っているぐらいの穏やかになるぐらいのものかな?
何かの趣味や特技は、脳内タララーン程度がよくて、焦らずマイペースが一番!
てところで、これから道具を用意して課題の練習しますね。