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東京藝術大学での修士卒業制作について 🔴TECHNOCOMMUNISM

 1年以上にわたる制作と調整を経て、卒業制作が今月末にようやくひとつ段階の終わりを迎える。1年間精一杯制作に取り組んだものの、時間には限りがあり、多くの部分で十分に表現しきれていないと感じている。そのため、これはあくまで「ひとつの段階の終わり」と捉えている。この制作は過去1年の間に完成したものであるが、ここ数年間私が最も考え続けてきたことが含まれている。今年の前半には、すべての内容をパンフレットとしてまとめ、SNSで公開し、独立したウェブサイトを作りたいと考えている。

 「…この卒業制作で達成したいことは2つある。ひとつは、資本主義のグローバル化が進行し、環境問題が悪化し、ジオポリティカルり対立が激化し、新しい封建階級が台頭し、権威主義政治パワーがハイテクによる増幅され、ナショナリズムが高揚するコンテクストの中で、人間社会の政治・経済システムに対する鳥瞰的な批判的視点を構築することである。この内容は後述で『飢えた、トップダウン的、脆弱な大社会モデル』(大社会モデル)と呼ぶことにする。もうひとつは、こうしたシステムを批判的に反省し、ポスト災難的、ボトムアップ的、民主的、脱中心的な新しい社会モデルを構想する試みである。
 近年、多くの学者やアーティストが現代の資本主義システムや権威主義的政治の問題について反省と研究を行ってきた。例えば、Yanis Varoufakisの『テクノロジーの封建主義』、斎藤幸平の『人新世の資本論』、裴敏欣(ペイ ミンシン)の『The Sentinel State』、王力雄と王柯による往復書簡『ハイテク専制』が挙げられる。しかし、私の視点では、海外の中国人学者たちは共産党支配下の権威主義政府の批判に過度に注目し、西(欧米や日本など)の学者や中国国内の学者たちは資本主義システムの批判に集中しすぎていると考える。第二次世界大戦以降、現代民族国家の政治集団と資本主義システムが共生するコンテクストの中では、柄谷行人が述べたように、

「われわれは、資本への対抗と国家への対抗を、つねに同時に考えておかねばならない。」

 制作過程では、ナラティブの手法や背景設定を何度も調整した。初期の段階では中国をデザインの背景として設定する予定だったが、制作が進むにつれて、中国を舞台とするだけではグローバルの危機に対する観察に応えきれないと気づいた。全体として、私が制作したいのはあくまでグローバルプロジェクトである。最終的に、架空の倒叙手法を用いて21世紀の歴史を構築し、22世紀初頭の偽造レポートを通じてテクノコミュニズムの背景を説明した。その後、具体的な一つのシーンを通じてテクノコミュニズムの社会テクスチャーを表現した。
 限られた時間の中で完成した作品は、私が表現したいすべての内容を十分に反映しているわけではないが、最後の超均質なグリッド都市はテクノコミュニズムの基本メカニズムを示している。今後、このテーマをさらに拡張したいと考えている。テクノロジーの進化や世界的な政治・経済環境の変化は急速に進行しており、批判的に反省し続けるとともに、悲観的な機会主義の態度を抱きながら並行する「別の選択肢」を模索することが、今後も重要な課題であると考えている。

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