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阪神・淡路大震災から30年。新刊『女たちが語る阪神・淡路大震災1995-2024』から「はじめに」を公開します

2025 年 1 月 17 日に大時計を午前 5 時 46 分で停止(明石市立天文科学館)

震災30年。何が変わり、何が変わらなかったのだろう

阪神・淡路大震災から30年を迎え、兵庫県明石市の出版社「ペンコム」では、『女たちが語る阪神・淡路大震災 1995-2024』いいたいことが いっぱいあった〜を出版。
避難先で育児や介護の責任が増したりDVを受けたり、男女の格差が色濃く影響した被災状況への怒りと悲しみを書いた震災直後の手記に、寄稿した女性たちの約30年後の思いや、研究者たちによる分析も追加。今もジェンダー平等が進まない社会状況などを問いかける。
編著は女性の支援活動に取り組む認定NPO法人「女性と子ども支援センターウィメンズネット・こうべ」(神戸市)

避難所で、被災者が男女の別なく雑魚寝で数カ月も暮らすのは、世界のスタンダードですか?

2025年1月17日。阪神・淡路大震災から30年を迎えました。大勢の方が、さまざまな思いを抱えながらこの日を迎えていることと思います。
被災した女性たちの、被災直後のストレートな気持ちがほとばしる『女たちが語る阪神・淡路大震災1995-2024』から「はじめに」を公開します。

「尊厳ある暮らしを営む権利」を求め続けて

「避難所で、被災者が男女の別なく雑魚寝で数カ月も暮らすのは、
世界のスタンダードですか?」

東日本大震災のあった2011年、東京の参議院会館で、国連人権委員会のメンバーと被災地の支援に携わるNPOとの話し合いがあった。
こども、女性、障碍者、外国人、LGBTQ等、支援の対象はさまざまだが各団体は被災地でのさまざまな人権侵害について語り、行政に抗議し、改善を求めたが納得のいく回答や対応が行われなかったことを伝えた。

私は女性支援団体として「避難所で、被災者が男女の別なく雑魚寝という状況で数カ月も暮らすのは、世界のスタンダードですか?」と聞いた。国連人権委員長(女性)は「それはお国の文化だから、国連はそれについては何も申し上げません」との回答だった。
あまりに多くの訴えに驚かれたのか、委員長が「日本には政府から独立した、国内人権機関がないのですか?」と言われた。「それがあればこのような事態は防げたかもしれない」とも。

避難所の状況は阪神・淡路大震災のときも、東日本大震災の時もほぼ同じだった。
ほぼ同時期、1995年1月に発生したマース川の「20世紀最悪の洪水」で被災したオランダのようすがテレビ放映されていた。その際に、大量の簡易2段ベッドが準備され、上下とも白いカーテンがあり「最低限のプライバシーが守られています」と放送されていた。

それから30年。2024年1月1日に発生した能登半島地震において、テレビに映し出された避難所のようすは、阪神淡路の時とほぼ同じだった。

多くの女性団体が、国へ防災や復興に女性の参画を求め、災害時には、内閣府も自治体へ繰り返し女性への配慮などを求める通達を出しても、それを知っていた自治体は4分の1で、それを現場に伝え実行した自治体は4・5%に過ぎなかったとの報告がある。(男女共同参画の視点による震災対応状況調査報告、2012年8月)そこを女性たちは検証すべきだろう。

スフィア基準―
被災者には「尊厳ある生活を営む権利」と「援助を受ける権利」がある

スフィア基準(スフィアスタンダード)とは、国際NGOや国際赤十字によって定められた、災害や紛争後の救援活動において満たされるべき最低基準のことである。
1997年に初版が作られその後、改訂を続けているものだが、人道支援に最低基準がつくられ、中でもジェンダー・多様性配慮が重視されている最大の理由は、災害時に最も支援を必要とする人々、最も弱い立場にある人々に支援が届きにくいからだ。
日本の避難所の状況は、安全はあるが、被災者が「尊厳ある暮らしが営まれる」状態とは言えない。どうすれば変えられるのか?
女性の住まいの問題にも取り組んできたが、最近になって、「尊厳のある暮らしを営む権利─ハウジングライツ」を知った。私たちは「周囲に迷惑をかけない」、「和を乱さない」ことを教えられたが「尊厳ある暮らしを営む権利」については学んでこなかったように思う。

国内人権機関をつくろう!

2024年現在、国内人権機関は既に120カ国で設置されているが、日本には未だにない。毎年のように国連から設置するようにと勧告されている。女性の人権だけでなく、あらゆる分野における人権侵害をなくしていくために、必要なのは国内人権機関を早急に設置することだ。
今、日本も国をあげてSDGSに取り組んでいるが、ジェンダー平等に関しても、国連は政治における女性議員の少ない国に、クオータ制(割り当て制)の導入を勧告している。もし国内人権機関が設置されたら、SDGSの目標の半分は達成できると言われている。
私たちは、災害時に女性への暴力も含めて、どれだけ多くの人権侵害が起きるかは、支援活動を通して知っている。
やはりジェンダー平等もふくめ、人権に取り組むさまざまな団体が繋がり社会を変えていくしかない。

★「国内人権機関」とは、政府から独立し人権侵害からの救済を行う人権機関のこと。政府からの独立性が絶対要件。SDGS目標16に「国内人権機関の存在の有無」がある。多くの国で人権教育に力を入れている

(フェリス女学院大学名誉教授/馬橋憲男「国家人権機関とは」朝日新聞SDGs ACTION!、2023・11・28より)

『女たちが語る阪神・淡路大震災 1995〜2024』刊行にあたって 

1992年、女性の人権を守り男女平等社会の実現をめざして市民グループ、「ウィメンズネット・こうべ」を立ち上げ、1994年には女性たちが仲間に出会い元気になれる場として「女たちの家」を開設した。

半年を過ぎた頃から、夫からの暴力(DV=ドメスティック・バイオレンス)に悩む女性たちからの相談が次々に入るようになり、駆け込み寺のような活動も始まりつつあった。
しかし、阪神・淡路大震災で「女たちの家」は周辺の土地が崩れて閉鎖した。

震災直後に「女性支援ネットワーク」を結成し、物資の配布、「女性のための電話相談」や「女性支援セミナー」などの支援活動を行った。
電話相談の6割はパートナーとの悩み。
地震で家や仕事を失い、その上に夫による暴力に苦しむ女性の多くが「皆さんが被災して大変な時に、こんな家庭内のつまらないもめ事を相談する私はわがままでしょうか?」と言われた。

当時、神戸の街は本当に暗く、避難所や仮設住宅、街の中で性暴力が起きた。避難所で性被害が起き、県の職員が現場に行くと、避難所の責任者から「加害者も被災者や。大目に見てやれ」と言われて驚いたという話も聞いた。

教室で複数の被災家族が一緒に生活するようすを、マスコミは「昔からの大家族のように助け合って暮らしている」と伝えたが、更衣室もなく「安心して服の着替えもでけへん。めちゃ、腹立つねん!」と泣きながら話す女性や「自宅の整理に帰ってる間に、娘が同室の人から性被害にあった」という母親もいた。

7月には神戸市内で近畿弁護士会主催によるシンポジウム「被災地における人権」が開催された。配布された資料に「高齢者、障碍者、子ども、外国人」の項目はあったが、女性の人権はなく、たった一行「女性が性被害にあったという噂があったが、兵庫県警は1件もない。デマであると否定した」と書かれてあった。
「女性はケアをしても、される対象ではなかった」と改めて感じさせられた。
◇  ◇
このような状況の中で、マスコミが流す「家族愛」「秩序」「奉仕の精神」に違和感を覚えた女性は数多くいた。
そこで、被災地の女性たちの生の声を伝え、記録したいとの思いから、私たちのグループの会報で手記の寄稿を呼びかけ『女たちが語る阪神淡路大震災〜言いたいことがいっぱいあった』を1996年1月17日に出版した。その時の思いを次のように綴った。

地震から早一年。街は復興しつつある。しかし、人々の心の傷はまだまだ癒されていない。たった数十秒で、多くの大切な命が失われたのだから。それでも、日々、地震の記憶は風化されていく。私たち、被災地に住む女性たちにできることとして、せめて私たち女性の目に見えたことを記録しておきたいと思った。
被災地の一握りの女性たちの声ではあるが、被災地の女性たちの思いが何分の一かでも伝われば、そしてそれが、これからの女性たちの暮らしを変える力になれば幸いである。

1996年刊『女たちが語る阪神淡路大震』

同書はその後、英語版にも翻訳され、災害とジェンダーに関する国内外の研究者から高く評価されている。震災直後の女性たちの生の声をまとめた本はそれまでなかったとのことである。

あの震災は、女たちの生き方にどんな影響があったのか─
神戸の街は復興し、大きく変わったが、被災した皆さんは、今どう過ごしておられるのか─

このたび、震災から30年を迎えるにあたり、手記を寄稿してくださったみなさまに「震災から30年後の私」について書いてくださいとお願いして、連絡のとれた方々から原稿を頂くことができた。

本書は、30年前の手記を再掲の上、新たな手記を併記することで、女たちの人生の記録を残しておこうとするものである。

また、手記に加え、減災と男女共同参画研修推進センター共同代表で静岡大学グローバル共創科学部教授の池田恵子氏と、特定非営利活動法人NPO政策研究所専務理事 相川康子氏から、特別寄稿をいただいた。

ぜひ、多くの方にお読みいただきたいと思う。

認定NPO法人女性と子ども支援センター 
ウィメンズネット・こうべ 正井禮子

※本書は、1996年刊の『女たちが語る阪神大震災』(木馬書館)からの原文(1995年と表記)と、今回新たに寄稿の手記を追加して掲載しています(2024年と表記)。1995年の手記では、データや用語など、当時の表現のままで掲載しています。あらかじめご了承ください。

『女たちが語る阪神・淡路大震災 1995-2024』

『女たちが語る阪神・淡路大震災1995─2024』 目次

はじめに
「尊厳ある暮らしを営む権利」を求め続けて
震災直後の記録
1995年◉新聞記事で見る「震災と女性」(1995年2月〜11月)
1995年1月17日震災直後の活動記録(ウィメンズネット・こうべ)

阪神・淡路大震災以降、防災対策はどう変わったのか
男女共同参画の視点による防災対策の変遷~阪神・淡路以降、どこまで進んだのか~ 特定非営利活動法人NPO政策研究所専務理事 相川康子

第1章 マグニチュード7・2の不平等 ─ 避難所・仮設住宅
第2章 震災下の妊婦・こどもたち
第3章 人権 ─ 女性・高齢者・障害者・外国人
第4章 仕事と家族
第5章 こころとからだ、震災報道
私の一番長い日
1995年◉座談会 地震から半年が過ぎて

[特別寄稿]明日に向けて 配慮から参画へ
減災と男女共同参画研修推進センター共同代表
静岡大学グローバル共創科学部教授 池田恵子

まとめにかえて
「女たちの家」から「六甲ウィメンズハウス」への30年の歩み

編著者 正井禮子プロフィール

認定NPO法人女性と子ども支援センター ウィメンズネット・こうべ代表理事。1992年から、男女共同参画社会の実現と女性の人権を守るため、「ウィメンズネット・こうべ」を発足。1994年、「女たちの家」を開設するも震災で失う。震災直後、「女性支援ネットワーク」をたちあげ、物資の配布や「女性のための電話相談」、「女性支援セミナー」など被災女性の支援を行う。2005年、シンポジウム「災害と女性~防災と復興に女性の参画を~」を開催。災害を女性の視点から検証し、防災・復興計画の策定に女性の参画の必要性を訴えた。2011年、東日本大震災女性支援ネットワークの発足に尽力し、「被災地における女性と子どもへの暴力被害」調査に関わる。各地で予測される災害に向けて全国で講演活動を行っている。
[主な受賞歴]
2004年 国際ソロプチミスト ルビー賞WHW(女性が女性を助ける賞)
2013年 井植(いうえ)文化賞(社会福祉部門)
2018年 フィッシュファミリー財団(本部:米国ボストン)チャンピオン・オブ・チェンジ日本 大賞(CCJA)
2024年 関西財界セミナー賞 輝く女性賞
〃   神戸新聞平和賞

編者・認定NPO法人女性と子ども支援センター ウィメンズネット・こうべ

ウィメンズネット・こうべは、1992年4月、男女平等社会実現のための学びと出会いの場を求めて発足。2007年3月20日法人格を取得し、2015年3月23日、神戸市より認定NPO法人として認定。女性問題に関する学習会のほか、さまざまな思いを持った女性がゆるやかにつながりあえるネットワークづくりや女性のための支援活動を続けている。1995年1月17日の阪神・淡路大震災以降は、「女性に対する暴力」をなくすための活動、特にDV被害者の支援に力を注ぎ、緊急一時保護やDVに関する学習会・サポーター養成講座、高校生・大学生のためのデートDV防止講座、DV被害者相談などを行っている。女性と子どもの支援と仲間づくりのための居場所「WACCA」、困難を抱える女性の自立支援住宅「六甲ウィメンズハウス」も運営。
▶ホームページ  認定NPO法人女性と子ども支援センター ウィメンズネット・こうべ https://wn-kobe.or.jp/

基本情報

・書 名:『女たちが語る阪神・淡路大震災 1995-2024』
-いいたいことがいっぱいあった
・編 者:ウィメンズネット・こうべ
・発売日:2024年12月5日
・価 格: 2,200円(本体2,000円+税10%)
・判 型:四六判(横127mm×縦188mm×厚さ12mm)
・ページ数:260ページ
・ISBN:978-4-295-41041-6
・Cコード:C0036
・発 行:株式会社ペンコム
・発 売:株式会社インプレス