イメージで生きてる話
こんばんは。書く人です。
今日はイメージの話。
私はイメージで生きています。
人やものに対して、よく知りもせず、イメージでその評価を下しています。
これってどう思います?
私は食品業界で働いていたことがあります。食品業界で働いていると言うと、知人も友人も親戚もこぞって
「ブラックそう。」
「薄給なんでしょう?」
「工場勤務?大変そう。」
と言ってきました。
もちろんすべてが当てはまらないわけもないですが、すべて当てはまるわけもありません。私にそう告げた人たちは、食品業界に携わったことなどないのですから。みなさんもイメージでものごとを評価しているようですね。
このイメージってどこで生まれたんでしょうね。
いま、ナニカについてネットで調べれば、すぐにそれについてのメリット、デメリット、世間の評価が手に入ります。それはどこの誰かもわからない人にまとめられ、多くの人々がそれを閲覧していることでしょう。それをまとめたライターは本当にそれに携わっていた人なのでしょうか。わかりませんね。誤情報は見事に多数の人々の頭に刷り込まれ、「イメージ」が完成するのではないでしょうか。
私はイメージで生きるの、やめようと思うんです。
自分の職業を決める際、様々な職業を調べていくうちに様々な職業の悪いイメージに触れ、
イメージの中で身動きが取れなくなってしまった。
そんな理由です。
それだけでなく、
何気なく調べた情報や、又聞きした噂、意図せず頭に刷り込まれたイメージでものごとだけでなく、
人でさえもイメージで評価して、その人との関わり方を決めている。
そんな自分にゾッとしたためです。
でもそんな簡単にやめられるものでもありませんよね。人は主観からは逃れられず、人の時間は有限なので。すべて一回経験してみて、判断するなんて人生がいくらあっても足りません。だから人は人と情報を共有するのでしょう。より賢く生きるために。この情報共有がミソな気がしますよね。
イメージって塗り替えられるなって思うんです。
塗り変わったことありませんか?実際に自分で体験したら、イメージと違った。とか。深く話してみたら、イメージと違う人だった。とか。イメージが塗り替わるのは、目の前の人やものの本物の声を聴いた時ではないのでしょうか。質の良い情報共有ですね。イメージを本物のイメージに塗り替えたら、実質イメージで生きるのやめられてるかもしれませんね。だから今日も目の前にいる人と向き合って、本物の声だけ聴くこととします。
いつか、今あるイメージから抜け出したいものです。
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