辞書をもつよろこび
〜〜ことばの勉強について、私の記憶〜〜
チベット語の辞書って、どんな歴史があるのだろう。
電車での移動中になんとなく思いついて、このURLにたどり着いた。
http://www.tufs.ac.jp/library/guide/shokai/tenji17.pdf
「世界のことば・辞書の辞典」という本に、どうやらチベット語の辞書編纂の歴史や、どんな辞書があるのかが載っているらしいことがわかった。
この本は、アジアとヨーロッパ各言語の専門家が、それぞれ専門とする言語のおすすめの辞書や、文法の入門書を厳選して紹介してくれている、いわば「辞書の辞書」。
さっそく古本をネットで取り寄せると、もう、この本が、とてもとても良い。
冒頭、まえがきと著者のエッセイから、言語というものへの愛情がものすごくシャワーのように降ってくる。
その愛情は自分の中にも確かに存在していて、なんとも言えない喜びの感情でいっぱいになった。
その時、中学生の頃のことを思い出した。
ある日父がパチンコで儲かったらしく、珍しく「何か買ってやるよ」と言ってくれた。
私は真っ先に「国語辞典が欲しい」と答えた。
次の日、父と一緒に本屋さんに出かけ、父に「中学生くらいが使うのに良い辞書は?」と店員さんに聞いてもらう。
そして買ってもらった、三省堂の分厚い国語辞典。
赤いビニール製の表紙、緑色の厚紙でできたカバー、あの独特の紙のかおり。
両手で抱えて家に帰るときの、あのよろこび。
辞書をもつよろこびを、確かに味わっていた。
それから私は、国語の時間で宿題に出される「語句ノート」という宿題で、辞書をひいてひいて引き続けた。
「教科書の一つの物語あたり、最低50個は言葉の意味を調べてノートに書き写しなさい」というもので、私はこの宿題が大好きだった。
少しでも自分で意味を説明できないものは辞書をひいて調べた。
おのずと、先生の出すノルマの3倍はことばの意味を調べた。
どうしてかわからないが、ことばの意味を知る喜びがあった。
それから、ジーニアス英和・和英辞典(兄が使っていた辞書で家にこれしかなかった)で中学と高校はひたすら英語の勉強。
高校は「外国語コース」という学科で、英語だけでたしか8科目くらいあった。
周りは電子辞書をあたりまえに持っていて、すごく憧れた。
でも、調べたいことから最短距離でたどり着いてしまう電子辞書で、何か失ってしまうものがある気がして、どうしても授業で必要になるまで、親に買っほしいと頼まなかった。
高校の時から第二外国語で中国語を選んでいたので、中国語入りの電子辞書をいよいよ手に入れた。
辞書をもつことはやっぱり嬉しくて、ずっと言葉を調べて遊んでいたのを覚えている。
そんな10代を過ごしたなぁ。と思い出しているともう私は30代。
ことばが好き、という気持ちは今も変わらない。
チベット語の勉強が楽しくてしかたがない。
どうして?と聞かないでくださいね。
私にもどうしてこんなに楽しいかわからない。
そこにはことばを学ぶよろこびがあるからかもしれない。
「何はともあれ辞書をひいてみよう。そして、ことばの美味(と毒)をたっぷり味わおう」
(石井米雄編 2008 『世界のことば・辞書の辞典』三省堂 まえがきより)
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