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16.速歩

わが母校には毎年6月11日前後の日に、速歩遠足なるものがある。遠足などと言うと幼稚園児や小学校の低学年が自然のある公園などにピクニックに行ってお弁当を食べたり、遊んだりする行事を思い出される方もいらっしゃるだろうが、速歩はそんな生易しいものではない。簡単に言うと「スパルタスロン」の世界なのだ。速歩のことを「がち歩き」あるいは「真剣勝負のマラソン」と言う人もいるが、現実を知ると確かにそう思う方もいらっしゃるだろう。バスで連れて行ったきり、「あとは自分の足で高校まで帰って来い」なのだから。
速歩の日、いつもよりかなり早く叩き起こされた我々悪童どもは、1年生から3年生までの全校生が、学校の周りにぐるっと取り囲んでいる大型バスに乗り込まされた。向かう先は南茅部町(現在は函館市に編入)の臼尻中学校グラウンドだ。悪童どもを乗せたバスは動き出すと、まずは市電の終点の湯の川から函館市松風町と函館市川汲町を結ぶ主要道である道道83号を太平洋側を目指して進んでいった。矢別ダムを過ぎ、南茅部高校を過ぎると恵山国道と呼ばれる国道278号線に出て海岸線を走り、目的地の臼尻中学校グラウンドに到着した。ただ、臼尻中学校に至るバスのルートに関しては正直はっきり覚えていない。もう四半世紀の前の物語である。それに、国道278号線に関しては、近年バイパスができていて海側の道は使われていないのかも知れない。
速歩は直近に大会を控えており、体力を温存させる必要のある選手や、ドクターストップのかかっている生徒を除く全校生徒が参加して、全員が臼尻中学校グラウンドに集められて注意事項がスピーカーから流れ始められると後はスタートを待つ。その正体は、出発地点の臼尻中学校から学校までの片道約34kmの道のりを松倉林道を経て自分の足で歩きぬくガチンコ・サバイバル・レースであった。中にはさすがわが母校、応援団のヤツは学ランで走り、剣道部のヤツは剣道着で走る。この文章を書くにあたって速歩のことを調べたら距離にして27㎞と書いてあるサイトもあったがそれは違う。私は母校の恩師からfacebookを通じて直接34kmと教えられたのだ。
道南(北海道南部)の渡島半島は先端部が2つの小半島に分かれている。太平洋側の亀田半島と日本海側の松前半島だ。大船松倉林道はそのうちの亀田半島を越えていく。ちょっとした半島を自力で横断すると考えていただきたい。速歩のコースはまず臼尻中学校から始まって、その松倉林道の上り下りする山道を必死になって学校へ戻ってくる。ハーフマラソンより少し長い山道を、走ってでも歩いてでも、ともかく自分の足を使って踏破する訳だから、日ごろの走り込みのトレーニングが必要だ。しかも体力もさることながら、気力・精神力の勝負で、トップ10人には表彰が与えられたと思う。それが体育会系のクラブの誇りとなるので、弱小の我がスキー部もそれなりに頑張った。学校の周りを何周も走ってトレーニングを積んだのだが、上には上がいるものである。マラソンのような平坦な道ではないアップダウンが激しい林道をゴールまで走りきったヤツもいたのだから。
出発の合図とともに始めから記録狙いで早々に飛ばす生徒もいれば、我々のようにランニング程度のスピードで走り始めるものもいる。今の地図を見てみると道道980号「臼尻豊崎線」を大船上の湯を過ぎるところまでは舗装整備されているが、我々の時代はスタート地点から林道だった。あるものは必至の形相で走り切り、あるものは途中に5箇所ほど設けられていたチェックポイントで規定の時間時間をギリギリ越え、あるものは心身ともに限界に達し、落後者は回送車で学校まで運ばれる。
1年生の時から3年生まで、私がどう走ったかは残念ながら忘却の淵に沈んでいる。唯一の思い出が、3回とも見事完走したことであった。それに、毎年、校長先生も参加していたのはよく覚えている。当時のラクロア校長はお世辞にも完走は無理だろうと思うくらいのメタボで、さぞ心臓への負担は大きかっただろうと思う。
初めは私も周りと同じくらいのスピードで軽快に走っていた。豊崎町を過ぎ、大船町まで来ると温泉も沸いている。レースはまだ始まったばかりだ。しかもまだその時は私も若かった。まだまだ余裕のヨッチャンである。しかし、三森山を周る込む上り坂が急なところになると、さっきの元気はいつの間にか無くなって、とうとう歩き初めてしまった。ちょうどそこでチェックポイントがあり、母の会(PTA)が用意してくれていたレモンを皮のままかぶりついた。その時のレモンの味は甘くジューシーで今でも忘れられない。速歩はレモンをかじりながら林道を進む。ゴールは遠い。
函館市街地や湯ノ川から北東方向を見ると、端正な形の山がある。三森山(もともとは頂上部の形から三盛山だったらしい?)である。この山に、現在の渡島東部森づくりセンターの手によって登山道が開削されたのは2000年らしい。その情報から、この山に初めて登ったのがその翌年の5月である。だから私たちが速歩で走った時にはこんなに整備はされていなかった。この辺りになると、頻繁に「熊出没注意」の看板が立てられている。北海道の熊と言ったらヒグマである。出来れば自然の中では決して出会いたくない相手である。そんな情報などなかった当時は呑気に大自然を身体全体で感じていた。
また、この地域になると、林道は松倉川と並走して走るようになり、渇いたのどを生水で潤したくなってくる。しかし、北海道の生水は絶対に飲んではいけない。なぜなら、エキノコックスが含まれているからである。キタキツネ等の糞に混入したエキノコックスの卵胞を、水分や食料などの摂取行為を介して、ヒトが経口感染する事によって発生するとされるエキノコックス症になると、やがて肝臓腫大を惹き起こして右上部の腹痛、胆管を閉塞して黄疸を呈して皮膚の激しい痒み、腹水をもたらす事もある。次に侵され易いのは肺で、咳、血痰、胸痛、発熱などの結核類似症状を引き起こす。経過は成人で10年、小児で5年以上かかるといわれている。そのほかにも、脳、骨、心臓などに寄生して重篤な症状をもたらす事がある。また、嚢胞が体内で破れ、包虫が散布されて転移を来たす事もしばしばある。内容物が漏出するとアナフィラキシーショックとなる。本虫の引き起こす症状は大型の条虫よりも重篤である。
速歩は三森町から鱒川町に至ると人家や鱒川神社、鱒川中学校が現われてきて、ぐっと町に近づいたことが分かってくる。しかし、ゴールは近づいてくるが、心身の疲れはピークに達している。後年知ることになるマラソン・ハイの状態はとうとう味わうことができなかった。当時は、β-エンドルフィンとは無縁であった。そして、見晴公園にたどりつくと、残った体力と根性を振り絞って学校に辿り着いた。全長約34km。この時ばかりは自分で自分を褒めたくなったものである。学校の食堂に行ってみると、PTAが炊き出してくれたお汁粉をゴールした生徒たちが頬張っていた。ところが、私は普段、アンコが大の苦手なのである。その私が、苦手のお汁粉を貪り食った。つまり、それだけ身体が疲労し、糖分を欲していたのだろう。

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