友達の強制入院
昨夜、赤ワインの「SIEMPRE」を飲んだ上で睡眠薬も飲んだので、19時ころ寝たのに、朝起きると7時過ぎだった。今日は腐れ縁のYが岸和田の精神病院に入院しているので面会に行かないといけない日だった。これから寒くなってくるので長袖の着る物とかタオル類は昨日のうちに準備してあるのだが、それ以外のものは買って持っていかなければならない。
そもそもYの入院というのが不幸な話である。9月27日に飲み友達の家に何か用があったのだろう、行きは私もついて行ったのだが、何度呼び出しても出てこないのでそのうちYは豪快にドアを叩き始めた。それを見て私は嫌になって一人表に出て業務スーパーに買い物に行ったのだが、その後、その飲み友達が出てきたらしく、中に入って手に持っていたパック入りの赤ワインを一緒に飲み始めたのだろう。私は自宅で「SIEMPRE」を飲みながら本を読んでいたらYから昼前に「今から赤ワイン買って持ってきて!!!」と電話がかかってきて以来Yとは連絡がつかなくなった。
何度電話しても電源が切れている状態で繋がらない。9月29日の早朝、いつものように自転車で梅田あたりを走っている時に、Yと共通の知り合いのMさんに電話して事情を話すと今から今里まで来てくれることになった。私は慌てて帰り道を急ぐが、私が帰る前にMさんが掴んだ情報によると、どうやらYは東成警察に保護されているということであった。
Mさんと合流すると、その足で東成警察へ行った。Yが保護されているか聞いてみると、確かに保護したが、今はもういないという。それでは解放されたのかとさらに問うと、どうも病院に運ばれたらしい。しかし、我々がどこの病院に運ばれたのかを聞くと、警察官たちは貝のように口を閉ざした。個人情報なので家族以外には教えられないと言う。運ばれたのが救急車かどうかも話してくれなかった。
もしも救急車で運ばれたのなら消防署に聞いてみようと言うことで近所の東成消防署に行って搬送先情報センターなる連絡先を聞いたのだが、電話してみると家族以外には教えられないとのこと。仕方がないのでやむを得なくYのお母さんに電話して、搬送先を聞いてみたのだが、大阪市&堺市全域に聞いてもYを搬送した記録がない。
もう、こうなっては八方塞がりになるので、仕方なくYのお母さんに東成警察に問合わせてもらうよりほか道はなかったので頼んでみると了承してくれた。結果は?電話では家族だとの本人確認ができないので、東成警察まで来てくれとのこと。Yのお母さんは和歌山に住んでいる。色々と話あった結果、Yのお母さんはお兄さんの運転で東成警察まで来てくれることになった。私とMさんは後はすることがなく、Yのお母さんの連絡を待ちつつガストでモーニングを食べて、後は連絡待ちで解散となった。
その後、Yのお母さんからの電話によると、警察で本人確認が取れ、Yが都島の市立総合医療センターに運ばれたことがわかった。お母さんたちはそこに行ってみるとのこと。しかし、行ってみると、既にYは岸和田の精神病院に再搬送されて、行ってみようかとの話にもなったのだが、まだ主治医が決まっておらず、その日の面会は断られた。仕方がなくYのお母さんとお兄さんは和歌山に帰っていった。
後日、9月30日だったと思うが、公衆電話がかかってきて、取ってみるとYからだった。今、岸和田の精神病院に強制入院されると話していた。なんとかテレホンカードを手に入れて連絡してきたものと見える。公衆電話から携帯に電話なので長話は出来ず、面会ができるようになったら電話をくれるように言っておいた。
10月1日、ようやく面会ができるようになったと連絡が入り、Yのお母さんとも日程調整して3日の日に面会に行った。ようやく本人に会えて話を聞いてみると、そのそもそもの発端となった飲み友達の部屋で監禁状態に置かれたというパニック発作が起こり、バルコニー越しに隣へ逃げようとしたら、飛び降りようとしていると勘違いされ、取り押さえられて警察に連絡されて保護されたという。都島の市立総合医療センターでは身体拘束されて16時間耐え、措置入院の判定がくだされて岸和田の精神病院に送られたということだった。まあ、Yの保護はこれが初めてではない。お母さんとお兄さんが警察に行った時に見せられたこれまでの調書は1cmくらいの厚さがあったそうだ。Yの話によると、都島の市立総合医療センターに運ばれた時の警察の捨て台詞は、「Yさん、年貢の納め時ですよ」だったらしい。
そういいうわけで、今日は3回目のYの面会であった。前日、あれこれと持って来て欲しいもののリストを書かされて、昨日準備できるものは揃えてあり、今日は差し入れの飴などの買い物を残すのみとなっていた。どうやら飴を舐めてないと落ち着かないらしい。飴中毒になったようだ。
9時になって近所の病院にリハビリに行ったあと、ライフに寄って飴を2400円分大量に買い込んだ。リクエストされた飴の他に色々と見繕って行ったのだが、本人に言わせれば「良いチョイス」だったそう。一度自宅に戻って朝食のトムヤムラーメンを食べたあと、今日は共産党の支部会議(実は私は日本共産党の党員なのだ)に出席したあと、面会に出発した。
途中、天王寺でダイソーに寄って腕時計と耐熱コップと手帳を買って出発したのが13時4分の阪和線の区間快速。できるだけ駅からタクシーは使いたくなかったので、下松の駅で降りて、病院の送迎バスに乗って行った。バスならタダだ。面会は差し入れのものの確認と近況報告などで1時間くらいで終わった。
帰りももちろん送迎バスである。このバスは阪和線の下松以外にも久米田や南海の和泉大宮まで行くという。毎回阪和線なので、たまには南海で帰るのもいいなと思って和泉大宮までバスに乗った。実際、いつも使う阪和線の下松の駅の周りには何もないのだ。目的が終わったらちょっと一杯飲んで帰りたい。和泉大宮の駅前にセブンイレブンがあったので、さっそくオリジナルビール「THE BREW」を2本買ってホームで電車を待った。帰りは急ぐ必要もない。
ホームで飲みながらスマホでパソコンのキーボードの値段などを見ていたら各駅停車がやってきた。実は前日、パソコンを置いてあるデスクでトムヤムラーメンを食べていたらキーボードの上にこぼしてしまったのである。それ以来、キーボードを何度叩いても文字が打ち込めない。仕方婦がないのでキーボードだけ買い換えることにした。思わぬ出費。「THE BREW」を一本飲み干して二本目に入り、堺駅を過ぎたあたりで意識を失ってしまった。まあ、たった二本のビールで酔いつぶれたのである。
車内アナウンスで「次は新今宮」と聞こえたので、そろそろ降りるかと思っていたら、車窓を走る風景が違う。どう見ても難波方面とは逆向きに走っている。どうやら酔いつぶれて寝てしまい、終点の難波でも起きずに、折り返しのどこ行きか分からない南海本線の電車に乗っていたのだ。慌てて新今宮で降りた。
まさかビール二本で酔いつぶれるとは思ってもいなかった。それだけ疲れていたのだろうか?向のホームにやってきた南海高野線の各駅停車に再度乗り込んで難波に向かい、難波の駅前のエディオンでキーボードを買ったあと、日本橋まで歩いて定食屋で生姜焼き定食(ご飯おかわり自由)を食べて、自宅に帰り着いたら20時前だった。まだ業務スーパーが営業してたので、赤ワインの「SIEMPRE」を買って、飲みながら塩野七生の「コンスタンティノープルの陥落」を読んでいると一杯目で眠ってしまった。
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