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鈴木いづみ

これもまたちょっと前の話になるが、モデル、俳優、作家、阿部薫の妻で、サイケデリックに生き急ぎ、燃え尽き自殺した鈴木いづみを38人が語る異色評伝「鈴木いづみ1949-1986」を読み、その中の「あがた森魚/ 20世紀サッフォーの愛しき凱旋」が印象深かったので、そのことについて語りたい。
ちなみに、あがた森魚は私の高校の先輩で、5期生である(私は25期生)。同窓会名簿を見ると、3年A組だったらしい。
あがた森魚と鈴木いづみのつながりは、70年代の終わりに、鈴木いづみの夫の阿部薫の追悼盤を作るというので、阿部薫が生前に好きだった「アカシアの雨が止むとき」をタンゴのアレンジで歌ってみないかと持ちかけられた時だったらしい。そのレコーディングは、六本木にあった、東京ロッカーズの拠点でもあったS-Kenスタジオで行われた。その時に、鈴木いづみと会ったそうである。鈴木いづみの第一印象は、妻とか未亡人ではなく、誰よりも阿部薫に一番似合った愛人だったそう。そういう女性にあがた森魚は存在を感じ、コンプレックスを持ち、エロティシズムを覚えたそうだ。

鈴木いづみを語るときに遠回りして語られるあがた森魚の中学時代の函館での話は、私も3年間住んでいたのでイメージはよくわかる。吉永小百合や本間千代子のような清純派アイドルとは対極の、斎藤チヤ子の「得体の知れないカオス」に心惹かれたというのも共感できる。あがた森魚は、斎藤チヤ子と鈴木いづみの中に同じようなサッフィーズムを感じている。サッフィーズムとは、古代ギリシアの女性詩人であるサッフォーから来ている。
恋愛詩人としてのサッフォーは古代ローマ時代にもよく知られ、オウィディウスは抒情詩「愛について」の中で「いまやサッフォーの名はあらゆる国々に知られている」と述べている。その一方で後世にはサッフォーの作品は頽廃的であるとみなされ、さまざまな非難を浴びた。古代ローマ時代にもサッフォーは非難の的となっていたが、その後、キリスト教が興隆し、キリスト教学が独善的な性格を強めてゆくに従い、サッフォーの詩は「反聖書的である」とされた。そして、キリスト教の力がエジプトにまで及ぶに至って、サッフォーの作品の多くが失われた。
当時、サッフォーの詩はエジプトのアレクサンドリア図書館に所蔵されていた。これは、アレクサンドリアが学問の都市であっただけでなく、キリスト教信徒や東ローマ帝国皇帝が、無神論を含むギリシア哲学や観察に基づく科学を「聖書を冒涜するもの」として非常に迫害するようになると、ギリシアの学者たちはキリスト教の力の及びにくいエジプト属州へ逃げて学問を続けていたためである(390年には、東ローマ帝国皇帝テオドシウス1世によって、“同性愛の罪を犯した”とするゴート人のギリシア学者を捕らえるという名目の下、テッサロニカの虐殺が起こる)。 しかし、そのエジプトにもキリスト教の力が及ぶようになり、415年には、アレクサンドリアで、ギリシア学問の学校の女性校長であり著名な数学者・哲学者・無神論者でもあったヒュパティアがキリスト教徒によって裸にされて吊され全身の肉を牡蠣の貝殻でそぎ落とされて惨殺されるという虐殺事件が起こった。さらに、エジプトを統括する司祭の指揮のもと、キリスト教徒はアレクサンドリア図書館をも破壊し蔵書を焼き払った。所蔵されていた大量の貴重なギリシア学問やヘレニズム学術の成果がすべて消失し、サッフォーの詩もまた失われた。サッフォーの一部の詩は、キリスト教徒の迫害を逃れてサーサーン朝ペルシアへ亡命した学者たちにより現在まで残っている。サッフォーは非常に女性同性愛と結びつけられやすかったため、現代では、Sapphic (サッフォー風の)は女性同性愛者を、Sapphismは女性同性愛を示すのに用いられる。また、女性同性愛者を呼ぶ一般的な呼称である「レスビアン」もサッポーがレスボス島出身であることに由来する。ちなみに、英語で「レスボス人」は"lesbian"と表記されるが、これは「レズビアン」の"lesbian"と同じつづりである。そのことから、同島の現代の一般名称はミティリーニ島の名称に好んで替えられて呼ばれている。

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