命ってほんとうは
「命って、ほんとは一番大切ではない?」
おかしい。葬式のたびに「あなたの分までしっかり生きるね」「今日というかけがえのない日を」とか思っては忘れる。誰か死ぬたび、なんども決意し、けろっと忘れる。
原子力発電所爆発したから、デモが起きてイベントも開かれ叫ばれた。「命がいちばん大事!」それから8年。原発は止まらない。街は明るくなって電気は消費される。
生き物は食べ物だ。食べ物は生き物だ。命を終わらせないで食べられるものはない。ぜんぶ、生きてる。間違いなく命は尊い。なのに食べる。
なんでこんなに命をうっかりするのだろう。なんで命を食べるっことになっちゃってるんだろう。この世界は難しい進化をして環境も命のある身体も洗練されていく。観察すれば「なるほどなぁ」と自然の完璧な仕組みにため息をつく。それなのになぜか、命がいちばん大切だという真理を大自然は囁いてこない。人によって後付けされたと言わんばかりに、命が何よりも大切だという概念が不自然にくっついてるだけ。
命こそ宝、でも大切にしない場面が多すぎる。言うことと行動に隔たりありすぎんか。なんか、設定おかしいんじゃないんか?わたしはまた、考えちゃったがな。
一番大切なのは命じゃなくって、
一番大切なのは命の満足だと仮定してみた。
なにこれ、すっごく辻褄が合う。人が求めているのは満足(納得)だと思う。でも一番大事なことは「命と健康ですね!」って答える事になってるからへんやろ。「命と健康があれば幸せ」か、考えてみるといい。満足がなければ幸せを感じない。健康でなくても満足で幸せな人もいる。
けど、一番大事なことは「命と健康ですね!」って定形の意識があるから、考えが足りないのに、完結しちゃってるんよ。違うって、あんたの命がなにに満足するかやって。考えないからわからんようになる。わからんもんは求めないから命を満足させるのに必要な社会の仕組みがなくなって行くんよ。
ずっとわたしの考えがおかしいと思ってたわ。
なにが大切でもいいんよな。自分の納得と満足なら。
よかった、そもそもを考え直す事を始めて。わたしは子どものころから、この世界に納得ができない自分がおかしいと思ってた。色々な設定を試してみて、仕組みがうっすらわかってきた。大発見。今の社会に適応しない自分に悩まなくなって、自分のための新しい世界をつくる楽しさに人生の後半を使える。どうやら。
今の世界はまだ制作途中で、気が付いた時点で自分の考えで作り始めることができる。ほんとはカスタマイズ前提なのに、まるで初期設定のままで生きてる感じ?そう仮定して、この世界の研究を私は始めている。
自分用に世界をカスタマズできるなら、他者との関わりは今とどんな風に違うか。仮定から導いてくる方法をどんどん実験する。実験に生きていく中で驚いたりよろこんだり、途方にくれたり、落胆もしたり。でも、この体験こそわたしが求めていた人生だと最近気が付いた。
この絵は、もちろん豊富な在庫画像から。5年くらい前に描いただろうか。やっと説明できるよ。
( ・◇・)ノ
描く行為が好物、つくることが快楽。境界線なくイラストを提供したくなる病。難しいお話をやさしく描くのも得意。生きることすべてを描きデザインする。旅をして出会って描きたいつくりたい。だからサポートは大歓迎です。 ( ・◇・)ノ