記事一覧
【ひとりしずかに】 8月。精神修養という意味での断食の話。
今月は、私が毎年夏に決めて行なっている儀礼の話をしよう。
儀礼といっても、宗教絡みであったり特別な事項があるわけではない。ただ単に、とある願掛けが切っ掛けで始まった『断食』である。
『断食』といえば、誰もが最初に思い浮かべるのはイスラム教のラマダンであろう。しかしながら、私のこれは決して宗教的なものではない。
以前にどこかで書いたような気もするが、私自身は特に決まったところの信者や教会員、
【雑記録】2024年夏の断食
年々自分の記憶に信用が置けなくなっているので、ちゃんと書き出しておこうと決めて、せっかくだからここを借りて記録してみようと。
理由とか雑多なことは今月のエッセイに回すとして、とりあえずここは毎日の雑記録を置いておく場所にする。
思いついたのが今日(8/17)だったので、ここから今年の分は始めておく。
できるだけ毎日、少しずつのメモ程度でも更新するつもり。
【 8/15 5:00-18:3
【ひとりしずかに】 7月。舞台芸術に関わった経験から生まれた私の嗜好と芸術作品観。
子どもの頃から、ミュージカルや演劇というものに触れる機会が多かった。舞台芸術と言いきるには拙いが、わりと昔から私はその世界に触れていたのだ。
これはひとえに母親の趣味が大きく影響している。物心つくまで、というかついてからもしばらくは、上演されている内容をきちんと理解していたかどうかは怪しい。けれど、自分なりに楽しんでいたのは記憶に残っている。
改めてそんなことを思い返せば、私の趣味嗜好は母譲
【ひとりしずかに】 6月。甘霖の世界に身を沈め、声無き言葉を手紙に認める。
《 雨の話 》
雨が降る日は、好きだ。世界はただ水音に満たされ、視界に映る全ての境界は曖昧になり、モノクロームの世界へと沈む。故に、特定の“モノ”をはっきりと認識する必要がない。そして何より、泣くことを忘れた私の代わりに、空が泣いてくれている。私のような存在は、まさに雨の世界にこそ存在するのだ——
……とまあ、どこぞの三文小説みたいな真似はさておくとして、雨の日が好きというのは間違いない。
「夢と現の狭間で、ひとりしずかに語ること(蛇足の話)」
さて、【夢と現の狭間に】の12本目が無事に終わりましたので、ここで区切りとして、関連する雑多な話を少しだけさせてもらいたいと思います。
雑多ついでに、各話のチラシの裏なども少しだけ紹介。
基本的に読んでも読まなくても良いような裏話です。でも、退屈凌ぎ程度になるといいな。よろしければお付き合いください。
《 最初の話 》
【夢と現の狭間に】を企画したのは去年の3月、ちょうど1年前のことで
【ひとりしずかに】 まえがき。ひとりしずかにぼやくこと。
エッセイというものを書いてみよう、と思い立ってそろそろ1年が経つ。
まず書き始めるにあたって、日記と何が違うのかな、と考えたんだけれども、実際のところ日々のことを記録する、という意味では大差ないものなのかもしれない。
強いて言うなら、日記というものは文字通りのその日の記録で、エッセイというものはそれに加えて前後の情景とそれに纏わる枝葉を纏めたものじゃないかな、ということだろうか。
あくま