夜村 千夏

高等遊民に憧れ「夜の朝刊」を探しています。

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最近の記事

【ひとりしずかに】 8月。精神修養という意味での断食の話。

 今月は、私が毎年夏に決めて行なっている儀礼の話をしよう。  儀礼といっても、宗教絡みであったり特別な事項があるわけではない。ただ単に、とある願掛けが切っ掛けで始まった『断食』である。  『断食』といえば、誰もが最初に思い浮かべるのはイスラム教のラマダンであろう。しかしながら、私のこれは決して宗教的なものではない。  以前にどこかで書いたような気もするが、私自身は特に決まったところの信者や教会員、また信徒だったりするわけではない。信心深いという言葉などとは、全くもって縁遠い身

    • 【雑記録】2024年夏の断食

       年々自分の記憶に信用が置けなくなっているので、ちゃんと書き出しておこうと決めて、せっかくだからここを借りて記録してみようと。  理由とか雑多なことは今月のエッセイに回すとして、とりあえずここは毎日の雑記録を置いておく場所にする。  思いついたのが今日(8/17)だったので、ここから今年の分は始めておく。  できるだけ毎日、少しずつのメモ程度でも更新するつもり。 【 8/15 5:00-18:31 】【 8/16 5:01-18:29 】  休日。例年通りの用意をして掛かる

      • 天河のほとり

         水の流れる音が聞こえた気がして、目を開けた。しかし目の前の風景は、全く無縁なそれが広がっているだけ。水の匂いも感じない。  勘違いだったのかな、と思いながらも体を起こしたら、背中と腰が悲鳴を上げる。鈍い痛みに思わず顔を顰めつつ、ゆっくり立ち上がると体を解すように動いてみた。  ミシミシと軋む音が聞こえてきそうだが、それでも痛みはゆっくり消えた。そりゃ、こんなベンチでつい転寝なんてしていたらあちこち痛むわけだ。と、さっきまで座っていたそこを振りむいて見て苦笑いが漏れた。  そ

        • 【ひとりしずかに】 7月。舞台芸術に関わった経験から生まれた私の嗜好と芸術作品観。

           子どもの頃から、ミュージカルや演劇というものに触れる機会が多かった。舞台芸術と言いきるには拙いが、わりと昔から私はその世界に触れていたのだ。  これはひとえに母親の趣味が大きく影響している。物心つくまで、というかついてからもしばらくは、上演されている内容をきちんと理解していたかどうかは怪しい。けれど、自分なりに楽しんでいたのは記憶に残っている。  改めてそんなことを思い返せば、私の趣味嗜好は母譲りなのだろう。小説を読むことは然り、演劇やミュージカルといった舞台芸術、ピアノを

        【ひとりしずかに】 8月。精神修養という意味での断食の話。

          【ひとりしずかに】 6月。甘霖の世界に身を沈め、声無き言葉を手紙に認める。

          《 雨の話 》  雨が降る日は、好きだ。世界はただ水音に満たされ、視界に映る全ての境界は曖昧になり、モノクロームの世界へと沈む。故に、特定の“モノ”をはっきりと認識する必要がない。そして何より、泣くことを忘れた私の代わりに、空が泣いてくれている。私のような存在は、まさに雨の世界にこそ存在するのだ——  ……とまあ、どこぞの三文小説みたいな真似はさておくとして、雨の日が好きというのは間違いない。  確かに雨がもたらす湿度は、私が愛してやまない書籍の大敵だ。また、対策してあると

          【ひとりしずかに】 6月。甘霖の世界に身を沈め、声無き言葉を手紙に認める。

          【ふたりしずか】 「図書委員のしごと。」

           初めは、どこにでもいる真面目そうな人、とだけ。なんとなく委員長っぽい、というのとは少し違う。誰かがなにかで言ってた言葉を借りるなら『特徴ないのが特徴』みたいな。  次に、なんて不器用な人なんだろう、って思った。これはお人好しというレベルではない。もっと別のものだ。ある意味、大体のことに於いて無関心、と言えるかもしれない。それにしたって、もっと上手に立ち回る方法なんて、いくらでもあるだろうに。  そう、先輩はあまりにも不器用なのだ。他に言いようがあるのかもしれないけれど、私に

          【ふたりしずか】 「図書委員のしごと。」

          【ひとりしずかに】 5月。新緑の香る夜の散歩道で、心のきしむ音が聞こえる物語に身を浸す。

          《 深夜の散歩道 》   西国へと向かった時に、ほぼ欠かさず立ち寄る場所がある。  それは、静岡県浜松市天竜区(旧・天竜市)の「月」という場所。天竜川の船明ダムの湖畔にある、閑静な場所である。  ここを私が知ったのは本当に偶然だった。まだ大学に入って間もない頃、とある場所で「ねえ、月まで歩くとどれくらいかかるか、知ってる?」というようなセリフを読んだのがきっかけである。  そこで紹介されていたのがこの場所だ。とある界隈では有名な国道152号からの分岐点に 『月 3km』  

          【ひとりしずかに】 5月。新緑の香る夜の散歩道で、心のきしむ音が聞こえる物語に身を浸す。

          【ふたりしずか】 「素敵な春の散歩道。」

           しずこころなく、はなのちるらむ。  旧き時代、春の日の桜の下で、とある歌人がそんなことを詠んだとか。花の舞い散る様は綺麗だけれど、どこか忙しなく感じるのは昔から変わらないことらしい。  しかし、だからこそ桜はここまで人に愛されるんだろうな。満開を少し過ぎた桜並木の下、そんなことを考える。ゆるやかな風に舞う花弁を目で追いながら、薄紅色に霞む空の隙間に見える蒼を探していたら 「難しい顔、していますね」  私の隣を静かに歩いていたはずの後輩が、数歩先で振り返っていた。 「そうか

          【ふたりしずか】 「素敵な春の散歩道。」

          【ひとりしずかに】 4月。素敵でおなかいっぱいな春の宵、薄紅色の艶な姿を愉しむ。

          《 桜を見ること 》  春になり諸々花が咲きだして、特に目立つのは桜であろう。日本ならばどこに行っても見られると言っても過言ではないほど、この国の春の風景は桜に占められている。  斯く言う私自身も、なんだかんだで桜と共に育ってきた。かれこれ無駄に数十年の年月を経ているので、満開の桜を見て今更はしゃぐほど初心ではない。が、いざ目の前にして心静かでいられるほど世捨て人ではいられない。世俗のことに隔たりを感じている私とはいえ、結局どこまでいっても俗人なのである。こればっかりは仕方

          【ひとりしずかに】 4月。素敵でおなかいっぱいな春の宵、薄紅色の艶な姿を愉しむ。

          「夢と現の狭間で、ひとりしずかに語ること(蛇足の話)」

           さて、【夢と現の狭間に】の12本目が無事に終わりましたので、ここで区切りとして、関連する雑多な話を少しだけさせてもらいたいと思います。  雑多ついでに、各話のチラシの裏なども少しだけ紹介。  基本的に読んでも読まなくても良いような裏話です。でも、退屈凌ぎ程度になるといいな。よろしければお付き合いください。 《 最初の話 》  【夢と現の狭間に】を企画したのは去年の3月、ちょうど1年前のことです。  この頃というかここ数年の間、自分が文章を書き続けていることに対して、ずっ

          「夢と現の狭間で、ひとりしずかに語ること(蛇足の話)」

          【夢と現の狭間に】 「挿頭にせむと思ひしも。」

           ——それは春に始まって、春に終わる夢なのだ  そんな言葉を思い出すほど、目の前の光景に震えが止まらない。でも、これが夢ならどんなに良かったか。人が真に美しいものを目にした時に最初に浮かぶ衝動は感動ではなく恐怖であるという、過去の偉人の教えは正しかったらしい。  静かな湖の畔で、一本の古樹が月明かりを纏い、薄紫の燐光に包まれ揺れている。凪いだ湖面にその姿をくっきりと映しながら、静謐な夜の空気の中で佇んでいた。  緩やかに流れる空気は枝を揺らし、花をざわめかせる。だがよく耳を

          【夢と現の狭間に】 「挿頭にせむと思ひしも。」

          【ひとりしずかに】 3月。心は深き淵に沈み、薄紅色に染まるあの春を待つ。

          《 出会いと別れの季節 》  こんな言葉は昔からよく言われてることだ。そのうち、別れは3月、出会いは4月に固まっているように思う。実際、卒業式や終業式なんかは3月だし、年度の終わりも3月。入学式や入社式、そして新年度といった新しい環境に入るのは4月から、というところが大多数ではないだろうか。  だからと言って、春という季節の代名詞にそれを持ってくるのは何か違うんじゃないかなあ、とは常日頃思っている。  というのも、私自身は特筆することもない環境で、普通に入学も卒業も経験して

          【ひとりしずかに】 3月。心は深き淵に沈み、薄紅色に染まるあの春を待つ。

          【ひとりしずかに】 まえがき。ひとりしずかにぼやくこと。

           エッセイというものを書いてみよう、と思い立ってそろそろ1年が経つ。  まず書き始めるにあたって、日記と何が違うのかな、と考えたんだけれども、実際のところ日々のことを記録する、という意味では大差ないものなのかもしれない。  強いて言うなら、日記というものは文字通りのその日の記録で、エッセイというものはそれに加えて前後の情景とそれに纏わる枝葉を纏めたものじゃないかな、ということだろうか。  あくまでこれは私の勝手な主観であり、文芸の世界でどのように定義されているか、という話で

          【ひとりしずかに】 まえがき。ひとりしずかにぼやくこと。

          「惜春、記憶の形見。」

           空と海はどこまでも蒼く、目を凝らしてもその境目は遠く見えない。水平線は最初から存在しないかのようにぼんやりと霞み、その向こう側にあるはずの世界は、夢の景色であるかのようにどこまでも曖昧だった。  美しく晴れた空の下、私たちは海沿いを走るまっすぐな国道をゆっくりと進んでいた。 「ねえ。世界の終わりって、こんな日に、唐突に始まるんだって」  横を流れていく遠い青を見つめていたら、県境を越えてからずっと無言だった彼女が、ぽつりと呟いた。横目で彼女の表情を窺うと、無機質な横顔が見え

          「惜春、記憶の形見。」

          【夢と現の狭間に】 「素敵な春の逢瀬。」

           ずっと、待っている。私にとってはとても長い、けれどこのひとにとってはあっという間の時間を。  三百六十六日。これだけが、私たちに許されている大切な時間。ただ、このひとにとってはそれが毎日なのに、私にはそのあと千九十五日の空白が待っているのだから、大概だと思う。  とりとめのない事に思考が泳いでいると、ねえ、と頬をつつかれた。 「また、難しい顔してるね」 「そう? ちょっと疲れてるのかな」  いけない、せっかくの時間をまた無駄にしてしまった。こうして一緒にいられるのは、とても

          【夢と現の狭間に】 「素敵な春の逢瀬。」

          【夢と現の狭間に】 「夢で金平糖を三粒。」

           過去のわたしは、誰かにすがりついて泣いていた。なぜわかるかって、それを私が見ているからだ。そう、私がわたしを見ている。ということはこれは夢なのだろう。まさか走馬灯ではないだろうし。  まだ世の中に対して無防備で、疑うことなどほとんど知らない、無垢故に未熟で蒙昧だった頃のわたし。恥ずかしい、と思いつつも、この頃はまだこんなにも可愛げがあったのだな、なんて苦笑いする。  頭半分くらい背が高い少女が、私を優しく包み込むように受け止めてくれている。ふむ。ということは、これは彼女が高

          【夢と現の狭間に】 「夢で金平糖を三粒。」