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【読書感想文】伊集院 静「作家の贅沢すぎる時間 : そこで出逢った店々と人々」
初めて作者の伊集院静を知ったのは、テレビの対談番組か何かを見た時だったと思う。
雰囲気があってカッコいい人だな、と思った。
それから彼のエッセイや小説を読むようになった。エッセイでは、今の時代的には少し言い過ぎだと騒ぐ人が出そうなこともハッキリと述べている。
彼の考えに全て賛同するわけではないけれど、ハッとするようなものがたくさんある。
この人は人生の経験から自分で本当に思っていること、信じていることを言っているんだというのが伝わってくる。
それが彼をカッコいいと思った理由だと思う。大人になってもそうあれる人は少ないから。
自分が心で思っていることではなく、他人や組織が期待している正解がどこかにあると信じて、それに合うこと、響くことを言おうとする大人がほとんどだ。
でもそういう言葉は人に響かないし、そういうことを続けても自分の心を見失うだけだと思う。
伊集院静の通った店やそこで出逢った人々に関するエッセイが本作である。
店は自分の足で探すのが彼のスタイルだ。ネットやメディアの評判を参考にしたりしない。
人に紹介され連れて行かれた店には、良いと思っても勝手に後日1人で行ったりしない。その人が自分で探して見つけた店なのだから、失礼のないようにと。
店や料理、ゴルフ、ギャンブル、麻雀の話も面白いが、僕はそこで出逢った人々が彼に格別の親切をすることが印象的だった。旅先での短い付き合いの大将がなぜここまで‥というエピソードがある。
別の作品にはなるが「なぎさホテル」という作品でも、当時無職で借金まみれ、小説家や作詞家の片鱗も全くない彼に、逗子のホテルの支配人が特別の親切を施す。なんと7年も彼は逗子のホテルに住むのだ。
いつか彼が何か成すとわかっているのか。いつも「あなたは大丈夫」と。
いったい伊集院静とはどんな人だったのだろう。実際に会うとやはり何か感じるものがあるのだろうか。
それとも彼に期待した人々が慧眼なのか。
作品がでるとサイン会などをやってくださっており、僕のような一般人でもお目にかかるチャンスはあったようだ。ご存命のうちに機会が得られなかったのが残念だ。
実際に会ったらますます憧れてしまったのだろうか。そうなれれば良かった。
いつか自分も人生で憧れの人や師と呼べる人に出逢いたいと思う今日この頃。