冷静でいられることとは
12月に右胸の手術も終わり、1月から、手術前化学療法で長らくお世話になっていたオンコロジーセンターにまた通い始めた。
手術前の治療も半年あったので、顔馴染みの看護師さんたちもいる。私を担当してくださる看護師さんは2人いて、行くと、大抵どちらかが担当になる。
「お久しぶりです、帰ってきました。またお世話になりますね」
「こちらこそ」
などとやり取りをして、すでに2回ほど通院した。
今やっているキイトルーダのあとにも投薬が残っているが、それは経口薬のため、オンコロジーセンターにお世話になるのも、残りあと5回くらい。
術後の病理結果が期待したものまではいかず、点滴のあとも投薬が残っていることは看護師さんも知っている。
先日の点滴のとき、ふいに
「でも、なつそら日記さんて、すごいですよね」
と言われた。
「?」
と確認すると、冷静でいられて、という。
「そうですかね」とかなんとか返したけれど、そんなことを看護師さんから言われるとは思ってもいなかった。
オンコロジーセンターは点滴のために来ている場所で、そこで診断の結果を聞いたり治療の話をしたりするわけではない。他の患者さんたちだって、あそこでは取り乱す人などおらず、皆、普段どおりにしている。
だからきっと、看護師さんも、あまり何も気にせず、話の接ぎ穂のように口に出た一言だったのだと思う。
でも、ここでは普段どおりの自分だけれど、冷静でいられないときだってあるんだよ、と言いたかった。
一人マンションでざわざわしてしまうことだってあるし、診察室から出たあと、私のあとを追ってきて声をかけてくれた看護師さんと話をしているうちに、不覚にも落涙してしまったことだってあるのだ。
もちろんそんなときばかりではなく、そんなときはあってもほんの限られたときであるし、周りからもそう見えているのであれば、きっとそれはいいことだ。
普段どおりに。余計な心配や面倒をかけずにいられていること。
それが自分に自信をくれている気もする。
そっとした心配は、そっと蓋をして、そっと片隅に見えないことにして。
いや、ちょっと違うかな。
そっとした心配は、そっと芽も出させないうちに摘んでしまうこと、が近いかもしれない。
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