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人と木の類似性についてぼやく。


最近、森に入ることが多い。


オーラがすごい


木は長い時間をかけて成長し、立派になる。でも、伐採してみるとほとんどお金にならない。最初にそれを知ったとき、驚いた。あれだけ長い年月をかけて育ったのに「一本2,000円?」って。正直、拍子抜けした。

でもこれ、人間と似ていると思った。どれだけ頑張って育っても、最終的に「特別すごい!」と評価されるのはごく一部だ。みんな無価値なわけじゃない。ただ「こいつは突出して価値がある」と言える人なんて、ほとんどいない。木も人間も、そんなものだ。

年齢を重ねた木はやたらと重い。これも人間っぽい。年を重ねるほど抱えるものが増えて、動きづらくなる。でも、その重みは無駄じゃない。積み重ねた時間や経験の重みだ。だから大事にしなきゃいけないけど、時にその重さがマイナスに働くことだって多い。

ただ、それでも不思議と「重さ=価値」と思えるようにもなった。軽くて扱いやすい木材よりも、重い木にはどこか風格がある。それまで積み上げてきた時間の重みが伝わるからだろうか。人間だって同じで経験が大切で、だからこそ、年齢を重ねることも悪くないと思えてくる。 

伐採された木にも次の役割がある。薪になったり、家具になったり、誰かの生活を支える。これも人間に似ている。生きている間に誰かに与えたものが、後々その人の中に残る。「あの人のおかげで今の自分がある」と思うこと、誰にでも一つや二つはあるはずだ。

結局、木も人間も最後には何かに役立つ。その価値をどう見るかは人それぞれだが、木自身は自分の価値を気にしていない。人間だって、他人からどう評価されるかより、自分がどう生きるかが大事だ。森で働くようになって、そんなことばかり思う。

森の中で過ごしていると、焦る必要はないと思えてくる。無駄なものなんてないし、年を重ねて重くなってもちゃんと役割はある。だったら自分らしく、じっくり成長していけばいい。木は時間をかけて成長し、やがて森を形作る。それを急いだところで意味はないし、成長は止まらない。

もっとみんなが木のように生きられたらいいと思う。どんなに時間がかかっても、無理に早く成長しなくても、それぞれに役目があることを信じて生きる。それができれば、少しは生きやすくなる気がする。


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