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築地で銀だこしか食べれなかった田舎者。



久々に東京へ旅行をした。
友人のリクエストもあって、築地市場を訪れることにした。僕は人生初築地。築地といえば食の聖地。そんな印象だった。

豊洲市場に移転してもなお観光名所として賑わい続けている。久しぶりの東京に期待と好奇心を胸に、市場を練り歩いてみたのだが、衝撃を受けてしまった。

インバウンド需要が爆発しているとはニュースで聞いていたが、築地はその最前線と言っても過言ではない。目の前を歩く人々のほとんどが外国人観光客で、耳に入るのは中国語や英語ばかり。あまりの光景に「ここは本当に日本なのか?」と一瞬戸惑った。

食べ歩きが楽しめる築地市場の通りを進む。まず目に飛び込んできたのは、苺が3つ串刺しされたもの。「苺3つか〜300円くらいか?」と心の中で予想するも、その値段が1,500円と見えたとき、僕の足はピタリと止まった。そんな苺を目の前では中国人観光客が平然と5本ほど家族分買っていく。その光景に、呆然としてしまった。

気を取り直そうと再び歩き始めるも、次に目に入った牛串の値段に愕然としてしまった。和牛だからかもしれないが、なんと1本5,000円。そして少し先では、マグロの握りが3貫で1,800円と書かれている。これらが高いかどうかは人によるだろうが、僕にはこの金額が信じられなかった。築地はすっかり、外国人向けの観光地になっていた。

その瞬間に、猛烈な疎外感を覚えた。物価や購買力の感覚が違いすぎて、時代に取り残されている気分だった。久しぶりの東京を目一杯楽しんでやるという気持ちとは裏腹に、苺も牛串もマグロ寿司も、自分にはちょっと手が届かないという現実が、思った以上に心に堪えた。

落胆してまた歩き出す。そんな中、唯一の救いが現れた。築地銀だこ。猛烈な安心感があった。タコ焼き一舟で800円弱。これでも決して安くはないが、築地の価格感覚を目の当たりにした後だと、むしろこれならと思えた。本店という要素もプラスされなんだかいつもより美味しい銀だこ。だが、拭いきれない切なさがあった。それは、自分が築地で銀だこくらいしか選択肢を持てない現実を突きつけられたからかもしれない。

ふと思った。日本国内の観光地が次々と外国人観光客向けに様変わりしていく中で、大半の日本人はもはやどこで遊べばいいのか? 
こうした金額を見て「よし、やってやろう!」と思える人と、思えない人。東京を楽しむためには、もはや反骨心が必要になってくるのか。悔しい気持ちを持つか、受け入れて諦めるか。選択肢は、複数あるんだけれど。

これが時代の流れなのだろうか。観光業においては、購買力の高い外国人をターゲットにするのは当然の戦略。だが、それに順応できない自分が、何だか小さく、時代遅れに思えてしまう。嫌でも、現実として突きつけられる瞬間だった。

言い換えれば、時代の変化や環境の変化に抗うのではなく、それを受け入れて自分なりの楽しみを見つける能力。これは必須かなと。衰退していく日本で「楽しめるマインド」を持つためには、どう生きていけばいいのかを考えさせられた。

築地の豪華な苺串や牛串は、今の僕には手が届かなかった。でも、もしかしたらそれでも良いのかもしれない。自分が無理せず楽しめる範囲を見つけ、それを満喫すること。それがこれからの時代を生きる僕らに求められる能力なのだろう。

東京に背を向けるのではなく、立ち止まりながらも前に進む。そのバランスを探ることが、田舎者である僕にとって大切なことなんじゃないかと思った。

これからも定期的に東京に行って、その都度どんな感情を抱くのかを人生実験しよう。


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