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なぜ、ただの「確認」の質問を「攻撃」に感じるんだろう?
パートナーシップによる組織活性化を専門とするコーチのHOSUです。仕事や人生を豊かにするカギとなる”パートナーシップ”を、日本中に充満するために、パートナーシップについて綴っています。
note連投54日目。Facebookのニュースフィードに上がってきた投稿(元発信は「dayaさん」という方のTwitterでのtweetのようです)から触発を受けて、今日の探究が始まりました。
西洋:人はみんな違うから確認と質問が不可欠。勝手に思い込むのは失礼
日本:普通こうでしょ。みんなこうでしょ。確認するのは信頼していないってこと
なるほど。そういう文化の違いは確かにあるかもなぁと思ったわけです。
よくよく考えたら、本当は、人それぞれなんだから、違っていることが普通なんだし、確認しなきゃわかんないよね〜というのは、その通りですよね。
なのに、日本では、空気を読んだり、相手をおもんぱかる文化があるからか、前提としている「こうでしょ」が一致していないとなると、マズい気分になるんでしょうね。そのマズい気分を味わいたくなくて、いちいち確認しないのかもしれません。
さぁ、そうだとすると、「確認しない=信頼している」というパラダイムがそこにはあるのかもしれません。
そのパラダイムが影響し、「確認する=信頼されていない」という直感を生むのかもしれません。
「ちょっと確認したいことがあるんだけどいいかな?」
この一言を、パートナーシップのある相手に言われるなら、なんてことはないただの質問として受け取ることができるけれど、パートナーシップがない相手だと、もう、声をかけられた瞬間にドキッとして、身構えてしまうということが、起きているのかもしれません。
ただの「確認」が、「攻撃」と受け取られるかどうかをわけるものの一つとして、パートナーシップが重要な要因であることは間違いなさそうだな。
あ〜だからか。
だから、「確認」の質問をする側であっても、ドキドキするのは、もしかすると相手に攻撃と受け取られないかという懸念、つまり、相手と自分との間にパートナーシップがないとしているからかもしれませんね。
じゃあ、パートナーシップのある関係を創り上げておけばいいんじゃん!という話ですね。
確認するのを気兼ねなくできること。
確認への回答も気兼ねなくできること。
どちらもYESもNOも許容できること。
これもやっぱり練習いるよね。パートナーシップを組む会話の練習がね。
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