宝石磨き
2024.05.28
ぺぎんの日記#58
「宝石磨き」
湯気と石鹸の香り。
温かくて、現実からちょっと離れたような場所。
私はお風呂が好きみたいだ。4月に日記をはじめてから、この記事で、お風呂に関するものはもう3本目である。
書きすぎな気もするけど、「この時期、私はお風呂が好きだったんだな」と、未来の私が感慨深く思ってくれるのも乙な感じがして良いので、迷わずに書きたいものを書いていこうと思う。
お風呂で身体を洗うこと。それは宝石磨きに近いものなんじゃ無いかなと、ふと思ったりする。
一日の汚れを、丁寧に丁寧にこそぎ落とす。
わざわざ何種類もの薬剤や布地を使って。
髪の毛に至っては、コーティング剤も使って。
身体を洗っていると、汚れと一緒に、まとわりついた嫌なものがスルッと抜けていくような感覚をおぼえる。
今日一日で拾い集めて来てしまった色々が、水と一緒に流されていく。そうして私はようやく、裸の私になることができる。
鏡越しに、いっとう綺麗になった宝石と向き合う。
よかった。今日も綺麗になった。
もちろん傷一つ無い身体なわけないし、嫌いなところだってある。
でもそんな欠損も、私が大切にしたい宝石の一部だって思える。
宝石が最大限輝くように、毎日毎日磨き続ける。
誰に見られるわけでもないのに。
お風呂を出たら服を着て、髪にはオイルをつけて、顔には保湿剤を塗って。翌朝にはもっと被覆率の大きい服を着て。
あんなに大切に磨いた宝石の、本当の姿が見えているのは、ほんのわずかでしか無い。
なのに毎日、せっせと宝石を磨き続ける。
清潔に保たないととか、匂いが臭くなるとか、そういうのもあるんだろうけど、
多分怖いから、他人に見られもしない宝石を毎日磨くのだと思う。
汚れてしまった自分の、芯の部分がまだ汚れを知らず、綺麗なままであることを確認したい。つまりは、自分が汚れてしまった人間だと思うのが怖いから、宝石の表面についたホコリをほろっては、綺麗なままの宝石を見て、感じて、安心しているのだ。
綺麗な身体じゃなくても、お風呂で向き合う私は、少なくとも無垢な宝石として複雑に光を屈折している。
きっと毎日、繰り返しているのだと思う。
恐怖と、安心。
いつか汚れてしまった自分も、愛せる日が来るのかな。
お風呂が嫌いになった日は、もしかするとそういう日かも知れない。