書く 表現する 優れている
2024.10.01
ぺぎんの日記#184
「書く 表現する 優れている」
何か、多少なりとも普遍的なテーマを文章の中で扱おうとするとき、私なんかが書いて良いのだろうかと不安になるときがある。
結構最近まで、「言語化できる」という能力は、他の能力とは一線を画して素晴らしいものだと思っていた。「表現」の中で最も優れている方法は「言語」だろうと。しかし最近は、私自身が、なぜだか言葉に感動しない。
言葉にしてしまうと劣化しそうで、それでいて、どうにかそれを理解したいと思えるもの。そういう作品に惹かれる。
(全てが「芸術作品」として意図的に生み出されたものではないから「作品」と呼ぶのはどうかと思うけど、人が生み出している色々を、とりあえず「作品」と呼ばせてほしい)。
そしてそれらの作品を生み出している人は、往々にして私より優れている。
少なくともそのテーマについて、私より遥かに優れた感受性を持ち、豊かな人生経験をし、そのうえで表現を行っている。その表現方法が「言語」ではないから、単純な比較はできないのだけれど、それでもハッキリと分かる。「あぁ、私なんかより、この人が表現した方が絶対いい」。
私は、「言語」という表現方法しか知らないから、「通常なら言語化できないものを無理やり言語化する」ということが得意なのだと思う。文章で書かなくてもいいことを無理やり文章で書き、やっぱり何か違うな、もっとよい表現媒体があったんじゃないかなと後悔する。繊細な心の動きを、文字で縁取ってしまったことに申し訳無さを感じる。
できるなら、持ちうる全ての表現方法を使って、考えを形にしていきたい。でもやっぱり、一番うまく表現できるのが言語だから、その手段を使っているわけで…。
私はただ、書くことがちょっと好きなだけで、書き方をちょっと知っているだけで。
もっともっと、書くことに劣等感を感じないくらいの、私という人間の唯一性と、豊かな人生経験を持っていたい。
「書く」という手法が自分にできる最善の表現だと、もっと堂々と言えるように。