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歯医者さん、久しぶりに怖かった
2024.05.18
ペぎんの日記#48
「歯医者さん、久しぶりに怖かった」
私は今、寝ているときだけマウスピースをして、歯の矯正をしている。今日はそれの定期検診のために歯医者さんに行ってきた。
そのとき感じた恐怖の話。
私の通っている歯医者は、そこに通う人たちから「歌う歯医者さん」と呼ばれ、慕われている。
何で「歌う歯医者」なのかというと、小さな子どもの治療をするときは歌を歌って治療の痛みを紛らわせてくれるから。
例えば大人の歯が子どもの歯に邪魔されて生えない場合、抜歯をするのだが、そのときはこんな感じ。
「はーい、痛くならないお薬塗りますー♪」
(これは実はただの消毒)
「グッと押しますー♪ちょっと痛いー♪だんだん痺れてくるー♪お薬効いてきたかなー♪」
(これが麻酔の注射)
「はい1番痛いの終わったよー♪ちょっと押させてねー♪」
(ここでペンチ(?)を使って歯を前後にグリグリし、外す)
「終わりましたー♪歯が無いところにガーゼ噛んどいてねー♪」
私が小さい頃に歯を抜いたときもこんな感じに歌ってくれた。
私は顎が小さかったので何度も抜歯で歯医者さんに足を運んだ。
流石に1回目は怖かったけど、2回目以降は「あ、歌う歯医者さんならいいや」って感じで、安心して歯医者さんに通っていたと思う。
(話は逸れるが、子どもが歯医者嫌いなのって、教育アニメのせいなんじゃないかなって思ったりする。「歯医者さんは怖くないよ!放置せずに行こうね!」っていうメッセージを伝えるために、歯医者嫌いのキャラクターを出す必要がある。しかしそのキャラがやたら歯医者の怖さを喋るせいで、子どもたちは行ったこともない歯医者のことを、いつの間にか危ないところだと認識するようにはなっていないだろうか。)
私がこの歯医者さんに安心して行けたのは歯医者さんが優しい嘘をついてくれていたからでもある。上の歌の歌詞(?)にもある通り、実際の治療と歌の内容を必ずしも一致させていないおかげで、いらない恐怖を抱くことはなかった。
しかし治療を受けるのは私のような脳みそお花畑の人だけではない。今日出会った少年も、私とは相反するいわゆる「勘の良いガキ」って言われる奴らの1人だったのだろう。
私が歯医者さんに入り、受付を済ませたとき、彼はすでに施術台に横たえられていた。
例の歌う先生が彼に「大人の歯が生えて来られないから、子どもの歯を抜くからね〜。痛くないからね〜。」と丁寧に説明する。
少年も納得して話を聞いていたらしく、先生が治療の準備に入る。
しばらくして、ガチャガチャというトレーに乗った施術道具がぶつかり合う音とともに、先生の歌声が聞こえてきた。
「はーい、痛くならないお薬塗りますー♪」
うんうん、この歌この歌、と呑気に懐かしみながら、スマホをいじる私。
そして次のフレーズ。
「グッと押しますー♪」
「ギャー!」
突然少年の、声にならない悲鳴が聞こえてきた。施術台をそろっと覗くと、先生が少年の歯茎に麻酔を注射しているところだった。
先生は歌を続ける。
「ちょっと痛いー♪」
「ん”ー!ん”ー!」
「だんだん痺れてくるー♪お薬効いてきたかなー♪」
「ウワーン…!(ズビッ、ズビッ)」
「はい1番痛いの終わったよー♪」
「フー…フー‥(ズビッ)」
「ちょっと押させてねー♪」
「?ん”ん”ん”ー!(ズビッ)、ウェッワーン(ズビッ)」
正気の沙汰とは思えない光景である。器具を手に、施術台に横たえられた少年の歯を歌いながら抜く先生と、動いたら死ぬ的な恐怖に堪えながら、しかし子どもなりに必死の抵抗を試みる少年。
気づくと私の胸はドキドキと大きく鼓動していた。
怖い怖い怖い怖い。
今まで納得できていた恐怖が、今になってなぜか心の奥底から迫り上がってくる。信用していた歌う先生が、マッドサイエンティストにさえ見えてきた。
スマホに気を逸らせ、少年の施術が終わるのを待つ。
しばらくして、その少年が口にガーゼを咥えながら待合室に戻ってきた。そして私の向かいの席に座っていた少年の父親にこう言った。
「歯医者さんに注射された」
ははーん、彼は注射を見てしまったがために恐怖を抑えきれなくなったのか。私は真実を中学生あたりになって知ったから、まだよかった。きっと小学生のときに気付いてしまっていたら、私もあの少年のようになっていたであろう。
父親に連れられて、少年が歯医者さんを出ていく。
背中に哀愁が漂っている。
それを見届け、次に自分が呼ばれるのを待つ。
先生が準備するまでのほんの数分が、いつもより長く感じた。
「ぺぎんさーん」
名前を呼ばれ、施術台に横になる。
「はーいお待たせしました。気になるところ無いですか?」
先生が私に尋ねる。
「あります」なんて答えたら満面の笑みで殺される気がして
「大丈夫です!」
と答える。もともと気になるところなんて無かったんだけどね。
「はーいじゃあ合わせるよー」
先生がそう言ってマウスピースを私の歯にはめる。いつもの丁寧な手つき。
「うん、いい感じだね。あと2ヶ月もすれば綺麗に並びますから。うがいしてお帰りください。お疲れ様でしたー」
いつもの優しい口調。
なんか、調子抜けしたというか…笑。
待合室に戻り、椅子に座りながら思う。
やっぱり歌う先生は歌う先生だ。歯医者っていう、それだけで怖いのに、そこに安心感を作れるのだから、本人が怖いはずがない。
歌う先生は優しい人だ。
「ぺぎんさーん」
受付のお姉さんに名前を呼ばれる。
「また2ヶ月後に来てくださいねー」
「はい」
「お大事にどうぞー」
「ありがとうございましたー」
靴を履き、歯医者さんのドアを開き、外に出る。春の暖かくていい匂いのする風が吹き抜ける。
少年、君と私が見たのは歯医者全般に対する恐怖であって、あの歌う先生への恐怖ではない。
どうか先生を、嫌いにならないでおくれよ。
そう願い、そして今日のnoteのネタはこれだなと考えながら、自転車にまたがる。
そして気づいた。
もしかして…
先生より何より、少年の苦しむ様子を文字起こししようとしている私が1番サイコパスなのでは?