誰に対しても、同じ言葉で話す。
たぶん誰にでも、自分だけのルールがあると思う。
ルールと言っても「右足から家を出る」とか「好きなものから食べはじめる」とか、そういう根拠のない話ではなくて、もうちょっと教訓めいた、大げさに言えば人生訓みたいなやつだ。
私も、いくつか自分ルールを持っている。
それはだいたい「私の場合こうすればうまくいくな」などという経験にもとづいて決まっていくものなのだが、実は初めての自分ルールは、見知らぬおじさんにもらったのだった。
25歳くらいのある日、家の近くにある海辺の公園でぽつんと夕陽を見ていたら、なぜか唐突に、浜辺にサメの死骸が打ち上がった。
自然のサメなんて見るのは、死骸とは言え、はじめての経験だ。予期せぬ事態に興奮した私は、この驚きを分かち合う相手を探して、浜辺の公園を走った。
そこで発見したのが、そのおじさんだった。ホームレス風の身なりに一瞬躊躇したものの、サメについてどうしても誰かに伝えたい私には、相手を選ぶ余裕はなかった。
私はおじさんをつかまえてサメの現場に戻り、浜辺に打ち上がったときの様子を臨場感たっぷりに熱く語った。おじさんもサメの死骸を眺めて「へぇ、こんなところにねぇ」などと驚いてくれた。(満足。)
ひとしきり興奮を分かち合ったあと「じゃ、これで」というのもなんだかね、という感じで、私たちは公園のベンチに座った。
そのおじさんは、書家だった。どうやら家もあるらしい。私は安心して「ホームレスかと思いました」と言い、おじさんは「そうだよね」と笑った。
おじさんの人生はすごかった。
30代のときに、家族全員を事故で失い、絶望して自殺未遂を繰り返していたそうだ。投身自殺を止めてくれた行きずりの人が、自分の会社の従業員として雇ってくれた、なんてこともあったらしい。
そうして数年後、一念発起して出家。10年近く永平寺で厳しい修行をしていたが、最近思うところあって俗世に戻ってきたところだと。
なんという数奇な人生。
そのおじさんは、話の途中でふと
「誰に対しても、同じ言葉で話せるようになりなさい」
と、私に言った。
話す相手によって、言葉を変えるような人間になってはいけないよ、と。
おじさんは、こんな風にも言った。
良く思われようとか、好きになってもらおうとか、そんな下心を持って人と向き合っているうちは、本当に好きになってはもらえない。「人に好かれたい」という心を手放したとき、人は本当に愛されるようになる。
お金だってそうだよ。お金がほしいと思っているうちは、手に入らない。「お金がなくても幸せだな。家族や友達がいて、ありがたいな」そんな風に生きていると、いつの間にか、お金は入ってくるのさ。
「誰に対しても、同じ言葉で話す」
これが私のルール第1号になった。
おかげで私はとても正直者であり、未だにとてもお世辞が下手である。