「楽しい」が「退屈」を作る
人間ってのは相対比較して物事を考え生き物で。
過去に楽しかったものも、現在の楽しさに比べると「退屈」になったりする。
現代は面白いものが多すぎる。
PS5で遊ぶ方が、竹とんぼを飛ばすより面白いんだ。
目の前に、常に楽しい事がある人生ならそれでもいいかもしれない。
しかし、現実はそうはいかない。
なんらかの制約により、常に「楽しい状態」を維持し続けるというのは非常に困難だ。
環境的な問題、時間的な制約はさることながら…
そもそも根本的に、人間の脳は順化する(慣れる)という性質を持っている。
延々と楽しめるものもあるが、それは楽しんでいるというより、依存状態にある。と表現されるものが多いだろう。
通常の楽しさには人は慣れる。
よって、退屈になる。
過去楽しかったものがどんどんと、退屈になっていく。
そして、今目の前に存在している過去楽しかったものは、ソレ以上に楽しいものを経験した次点で退屈になる。
快楽で人生を埋める事は不可能
人間はそもそも苦しさを感じる形で設計されていると僕は思う。
東洋哲学者の筆頭である釈迦は、「生きることは苦しみである 」と説いた。
生きるという事は基本的に苦しくなるように出来ているのだろう。
ならばどうすればいいのか。
快楽で埋めることは不可能だ。それは、前述した通り。
不快感を受容する
負の感情を回避するという事を、楽しい感情を得る事だと勘違いしがちだが
僕は、哲学と心理療法を学ぶ過程で、明らかにそうではない事に気づいた。
メンタル的に最強な状態ってのは、あらゆるものを受け入れる事が出来る状態だと思う。
目の前に存在する現在に、集中できるかどうかが、メンタルの状態を決めるのだと思う。
第3世代の認知行動療法に、マインドフルネス療法というものがある。瞑想に端を発した療法だが、これが効く理由はこの状態を体現するスキルを身につけることが出来るからなんだろうと思う。
退屈な時、僕たちは「早く楽しい状態になりたい」と考える。それは退屈に対する不快感をより大きくしてしまう。
退屈な状態に集中し、懸命に、ただその目の前の事に集中できれば、不快感は消えていく。
「楽しい状態になりたい」というのは、未来に意識が向いている状態だ。目の前に存在する現在をないがしろにして、早く時間が過ぎて欲しいと、思っている状態だ。
目の前をつまらないと決めているのは紛れもなく自分で、その結果自分で不快感を作り出している。
楽しいを知る事で、退屈が定義され、その退屈が人生をつまらなくする。
楽しいと同じように、退屈を受け入れないと、幸福感を維持することは不可能なのだろう。