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本当の自分をしりたいだけ

このところ、一気に、ADHD、ADS、愛着障害、HSP、毒親の本を見返しました。
何もわからなかったときは、なにかにカテゴライズされて、
私が悪いんじゃない
と思えたことはすごく大きなことでした。

ただ、それをちょっと超えた今、もうそういうことはどうでもいいと思えるようになりました。

ちょっとそれるかもしれないのですが、
最近この本を読みました。

「平均」は間違える・・・
「平均」とか「統計」とか「タイプ」とか「ランク」とか
もっというと
「普通」とか「常識」
自分で枠を作っていないかな?でもそれって、自分だけの枠じゃないかな。
すごくその中に納まろうと努力してたけど
ちょっとくらいはみ出してもべつにだれも気にしないんじゃないかな。
本の内容から飛躍していろいろ考えました。

「コロナ禍」ってなんだったのかな・・・
おかしいと思っても空気や同調圧力におされて流されてきた。
「社会的身体」という言葉が、新しいけどとても腑に落ちた。
本当の自分があっても、環境、社会により、感覚が操作される。
やっぱり、家庭は社会の縮図だからその中での圧力や刷り込みで
本当の気持ちは変えられてしまう事があるなとこれも飛躍して考えてしまいました。

それに「本当の自分」を探しがちだけど
今日、赤と思っても明日青と思うことだってある。
もう、なんかどうでもよくなってきた(笑)

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