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鳥山明の残してくれたもの
2024年3月1日、鳥山明が亡くなった。
私は今年で47歳になるが、私と同じ世代で鳥山明に影響を受けていない人はかなり少ないだろう。ドクタースランプは物心ついたころから家にあったし、ドラゴンボールは初めて自分で買った漫画の単行本だ。初版で全て揃えたものは度重なる引越しの際に手放してしまったけれど。
鳥山明の新しい作品をみて楽しむことも少なくなったというのに、亡くなったというニュースを目にした時はとてつもない喪失感があった。喪失感の一番大きな源泉は漫画ではなくドラゴンクエストのキービジュアルだ。鳥山明の漫画と同様初期の作品からドラゴンクエストには親しんでいたが、ドットだけで表現される簡素なグラフィックを何百倍にも想像させるキービジュアルは、それが発表された時、全国の小学生の心を鷲掴みにしたはずだし、自分もその1人だった。
中でも自分が一番鮮明に覚えているのはドラゴンクエストIVのキービジュアルだ。家の近所のローソンで立ち読みした、ファミコン通信の広告ページで初めてそのビジュアルを目にした時は、小学校5年生だった自分の思春期真っ盛りの脳になんとも言えない熱いものが込み上げてきた。
ドラゴンクエストIVのパッケージを手に入れる
冒頭にもどり、鳥山明が亡くなったタイミングで一番最初に思い出したのはドラゴンクエストIVのことだった。どうしても当時の感触を追体験してみたいと思い、ドラゴンクエストのパッケージをなんとか手に入れられないか考えた。発売から30年以上が経っているパッケージを手に入れるのは難しいのではと思ったが、意外にも箱付きのソフトが数本メルカリに出品されていた。コレクション目的ではなかったので、完璧な美品である必要もなく、手頃な価格のものをすぐに手に入れることができた。
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今手にとってみるとパッケージ表面のキービジュアルはもちろん、裏面に描かれたキャラクター紹介、画面のキャプチャなど見ているだけでワクワクする構成が秀逸だ。ドラゴンクエストシリーズのパッケージはこの世で量産された物の中で一番小学生をわくわくさせたのではないだろうか。
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その後、シリーズの中で一番好きだったIIIの箱付きソフトも手に入れて今は両方を並べて部屋に飾っている。30数年ぶりに手に入れたファミコンソフトは当時の気持ちを完璧に思い起こしたとは言えないが、大人になってデザインのテクニカルタームをほんの少し理解した自分がパッケージをまじまじと見ると、子供の頃には気がつかなかったディテールの作り込みや、レイアウトの不思議なバランスにも気がついて面白い。
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改めてキービジュアルを眺めると、小学生のころはこのキービジュアルを眺めて、そこに出てくる勇者に自分はなるのだと思っていたことを思い出した。一般的なメガネをかけた小学生男子だった自分と不適な笑みを浮かべる勇者とはかけ離れているのだが、思わずそこに移入してしまうビジュアルの魅力があった。
これまでいくつものビジュアル通じてわくわくを届けてくれた鳥山明先生と30年ぶりにドラゴンクエストのパッケージと引き合わせてくれたメルカリに心から感謝。