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30回目の1.17
1995年1月17日午前5時46分。
まもなくあれから30回目の1月17日がやってきます。
起床してテレビをつけると地震後の様子をリアルタイムで街中や空から伝えていました。
その映像は、これが現実に起こっていることなのかと目を疑いたくなる光景でした。
まるでヒーローが怪獣と戦う特撮作品のシーンのように、斜めに倒れている高速道路、高速道路が切れた端に車体がかろうじて引っかかっているバス、濛々とした黒い煙の中であちこちに見えるオレンジ色の炎・・・。
それらの光景の下にたくさんの命があることを思うと、テレビ画面であっても直視するとができませんでした。
被災の状況については、毎年様々なメディアで報じられていますし、記録としても見ることができますが、今もってリアルタイムで見た衝撃にも似た感覚は、1月17日という日付を聞くだけで毎年蘇ってきます。
そのときから長い時間を経て、当時被災された方と一緒に仕事をすることがありました。
NHK大阪放送局で制作しているバリバラという番組に出演されている方です。(その番組も今年度で終了するらしく、残念なのですが・・・。)
その方は著書にもご自身が被災したときの様子をお書きになっていますが、ご本人から直接お聞きしたことで、より一層直下型地震の怖さを感じました。
その数年後、兵庫県におじゃまする機会があり、かつて斜めに倒れていたあの高速道路の下を車で通りました。あらためて地震の怖さを感じるとともに、悲しみや苦しみを乗り越えて復興へと向かう地域の方々のたくましさも感じました。
阪神淡路大震災から16年後の東日本大震災では、実際に揺れを感じながら、防波堤を乗り越えて来る津波、津波に飲み込まれている街並みをテレビの生中継で見ていました。
それは1月17日のあのときと同じ、映画か何かを見ているかのような感覚であり、多くの方々が犠牲になっている状況でした。
私にとって1.17と3.11は被災された方々に黙祷を捧げる日になっています。
そして、昔、地震に関する映画だったと思いますが、被災した街の光景を見て主人公が最後につぶやいた言葉を思い返しながら命を守ることを考える日でもあります。
そのつぶやきは、たしかこんな言葉でした。
「いつか来るとは知っていたが、今日来るとは知らなかった。」
阪神・淡路大震災1.17のつどいで灯籠で象る今年の文字は「忘」とのこと。
1.17と3.11。
私の中で忘れることはない日です。
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