「共に存する」
都市部から30分ほど山間に入ったある公園を季節ごとに訪れています。季節ごとと言っても、冬は積雪のため公園の中には入れないので、正確には春・夏・秋です。
春は、付近にまだ雪が残っている中で水芭蕉の白い花が見られ、
夏は、木陰で涼みながら、物思いにふけっています。
秋は、公園内の道路は、赤や黄色に染まった紅葉樹の葉で敷き詰められ、ヨーロッパにいるかのような景色です。
先日、数ヶ月ぶりに秋の公園を楽しみに行ってみたところ「熊出没注意!」の看板があちこちに立てられており、この公園を含む山々に大きな動物の命や生活があることに気づかされました。
いつもは小鳥のさえずり程度であるため、あらためて気づかされたという感じでした。
私が小学4年生のときのことです。
学校帰りに、家に帰る途中の道沿いにある家に寄って、子熊と一緒にあそんでいたのです。
誰にも教えたくない私だけの秘密のあそび場で、絵本の中にいるような時間でした。
庭先の草の斜面を一緒に転がったり、庭の大きな木の枝に手作りのブランコを作ってもらって、まるでぬいぐるみを抱っこしているかのように一緒にブランコであそんでいたのです。
それは楽しい時間でした。
そこのお家の方は猟をされる方で、子熊がそばにいることを知らずに母熊を撃ってしまったとのことでした。
「子熊がいることを知っていたら、撃たなかったのに・・・。」
と子熊を熊をなでながら話してくれたことを何十年と経った今でも覚えています。
しかし、楽しい子熊との時間は長くはありませんでした。
たった数日で、足の力が強くなっていることが私にもわかるほどの成長でした。
10日ほど経った頃でしょうか、
子熊は、隣町の山中にある通称熊牧場に移されました。
もっと一緒にあそびたかったということもあり、なかなか他の場所にあそびに行く気持ちになれず、子熊と一緒に揺れたブランコに一人で乗って数日過ごしていました。
そのうち、子熊がどんな生活をしているのかを知りたくなり、場所もよくわからないまま一人自転車で熊牧場に行ってみました。
牧場の門から遠く離れたところでしたが、すぐにわかりました。
私と一緒に草の斜面を転がったりブランコであそんだ子熊は、鉄格子に囲われた箱の中にいたのです。
涙がとまらなかった私は、そこから先には進むことはできませんでした。
私は、熊の被害にあった畑や建物を実際に見たことがありますし、大怪我をさせられた人の話も身近で聞くことがあります。
子熊と一緒にあそんだ絵本の中にいるような時間を過ごし、そして今は熊と人間が共存することが難しい時間を過ごしています。
そもそも絵本のストーリーにあるような私が一緒にあそんだこと自体イレギュラーなことであったと思います。
マタギの伝統を継承する方々は別として、普段の生活の中で、お互いに出会うことのない生活が理想なのでしょう。
熊からすれば、
「熊出没注意!」の看板があんなにたくさんあるなら、その裏に「人出没注意!」という文字も書いてくれよ!
と言いたいかもしれません。
熊と人間の共存は、どう考えたらいいのか・・・。。
一緒の場所にいることだけが「共存」ではないと思いますし、
また、交わることがなくても「共存」しているといえるかもしれません。
毎日テレビのニュースでは、紛争や戦争の様子を伝えています。
それは、人間同士が共存することができていないというように聞こえます。
共に存していくことを急ぎ考えなくてはならないのは、熊のことだけではないようです。
まもなく公園の紅葉樹の葉は落ち、赤や黄色の絨毯のように地面に敷き詰められるでしょう。
そして一面に広がる色とりどりの絨毯は白く深い雪で覆われ、また熊と人間の隔たりができる束の間の時間がやってきます。