天体望遠鏡で見えるのは
いよいよ冬到来という感じですね。
地域によっても違うことかもしれませんが、田舎だと夜空の星がスッキリとした感じで見えてきます。
幼い頃、双眼鏡というよりはおもちゃ屋さんに売っていたオペラグラスのようなもので月を見ていました。それで星を見てもさほど肉眼と変わりがないため、決まって見るのは月でした。
月や宇宙にかかわる本も少しずつ増えてきました。
それこそ、宇宙人やUFOのイメージ、月に秘密基地あるとかの類の本から月の表面のクレータの写真集のような本。天体に関わる雑誌、漫画、アニメ。読んでも私の頭では理解できない相対性理論、音楽では、ホルスト作曲の組曲「惑星」まで・・・。
だからといって、宇宙が好きだったのかというとそういうことではなかったと思います。
今にして思えば、答えがわからないことに対して想像することが好きだったのかもしれません。
それがたまたま月や宇宙という、自由に想像する幅が広かったからかもしれません。
ただ単に宇宙に対する興味というだけだったように思います。
もっと大きく月を見たくなり、お金を貯めて、双眼鏡を買いました。
ようやく双眼鏡で月を見ることができた瞬間に、望遠鏡で月を見てみたくなりました。
双眼鏡でこんなに見えるなら、望遠鏡だったらどんな見え方をするのだろうかと思いました。
お金を貯めて、天体望遠鏡をようやく買うことができました。
寸胴のような形をした反射式望遠鏡という種類で、有口径と言われる光が入ってくる部分が十数cmの程度の物です。光を寸胴の奥に集めて反射させて見るため、左右が逆になってしまうことから、操作に慣れが必要でした。
その望遠鏡で月を見ると、月の表面をまるで目で撫でているかのように見えます。目に手の平をギリギリ近づけて手の平を見ている感じです。あまりにも近く見えるために、望遠鏡の視界からあっという間に外れることで、月と地球が互いに動いていることも実感できます。遠い星では、木星の縞模様も見えました。
大人になって、頭では、地球に住まわせてもらって生きていることはわかっているつもりですが、それを実感する機会はほぼない生活でした。淡々と毎日が過ぎていくだけです。
でも、望遠鏡を覗いている時間やその後の数時間は、存在しているという自分というものを意識できるような感覚になります。
今見てるいる月の光は、1秒前の光、今見ている木星は何十分も前の木星の光、・・・。
今から何秒、何分も、何時間も、何年も、何十年も、何億年も前に発せられた光を「今※」として見ていること。その「今」に自分がいることの不思議さを感じます。
それは自分のことだけではなく、家族であったり友人であったりと、人との出会いまで引き連れてきてくれます。
天体望遠鏡は、遥か遠いものを見ることを通して、実は身近なことを見させてくれているのかもしれません。
冷えた夜は、縮こまってあったまりたくなりますが、たまには顔を上げて夜空を見てはどうでしょう。
天体望遠鏡で見なくとも、身近なことを感じさせてくれる「今」があるかもしれません。
※望遠鏡は、時間を遡ることにもなりますが、ここでは割愛します。