医療現場で見た"地獄"
医療現場で人の生死に触れ続けると、それについてあまり感情が動かなくなる。
それについては以前別の記事(患者に共感しない医師が多い理由)で書いた。
では僕にとって医療現場の日常が全く無味乾燥な毎日かと言われるとそんなことはもちろんない。
色んな瞬間に感情は動くし、嬉しいことも悲しいこともある。
その中で最も感情が揺り動かされ、二度と経験したくないと思った瞬間について、今回は書こうと思った。
最後まで詳細に書いてみて思ったけど、そのときの感情が蘇ってきて何度も挫折しかけた。
(特定を防ぐために一部事実とは異なる設定・内容にしているけど、実話に基づいたものだ。)
僕はよく自分の書いた文章を見直すけど、この文章はもう読まないと思う。
楽しい話ではないけど、そういうこともあるんだと思って読んでもらえると嬉しい。
・ある日の救急外来
ある年のある夕方、その日の勤務を終え、病院を出ようとしていた。
救急外来を横目に病院の出口へ向かう。
が、その日救急外来からのただならぬ気配に気付いた。
何の気なしに救急外来へと続く扉を開ける。
その救急外来には、
開けたスペースに通常ベッドが8つほどと、それとは別に重症患者の緊急処置を行う特別な機器を取り揃えたベッドが1つある。
異様な空気の正体は、
その緊急処置を行うベッドにあった。
ベッドに目をやると、救急科医が心臓マッサージをしているところだった。
その周りでは5-6人の医療スタッフが忙しなく様々な医療機器を準備したり、声を掛け合っていた。
さらにその周りを囲むように15人ほどの医師や看護師が立って状況を見守っていた。
患者の心臓が止まり心臓マッサージをする瞬間はいつでも緊迫したムードになるが、
頻度で言えば救急外来で1週間に数回は見られる光景で、"異様"とは言えない。
少なくともそこまでの大人数で囲むようなことは絶対にない。
異様な理由はその患者の年齢だった。
遠目に見ても、その患者の年齢は1歳にも満たない子どもだった。
それに気づき、慌てて近づく。
僕の視界の中で、その子の顔が徐々に鮮明になる。
ああ。。そんな。。
最悪なことに、僕はその子を知っていた。
以前風邪をこじらせ、小児科に入院していた子だった。
何の基礎疾患もない健康な子だった。
その場に両親はいなかったが、2人の顔もすぐに思い浮かんだ。
これから言うことは表現が悪いし身も蓋もないけど、あえて言わせて欲しい。
心臓マッサージには"勝ちが見込める戦"と"負け戦"の2つに分かれる。
もちろんどちらにしても僕らは全力を尽くすし、一切手は抜かない。
でもその戦いが一体どちらなのかというのは大抵の場合、状況からある程度予測が付いてしまう。
重ねて最悪なことに、その戦いは"負け戦"だった。
心臓マッサージを見守る救急外来の看護師に近づき、尋ねる。
「今、心臓マッサージが始まってどのくらいですか?」
するとその看護師は目に涙を浮かべながら小さな声で呟いた。
「、、、もうすぐ1時間です。」
1時間。
心停止の原因にもよるが、一般的に言ってここからの回復はかなり厳しい。
あらゆる蘇生処置に何の反応もなく、
その命が戻ってくることはもうないと誰もが悟り始めていた。
しかし、その手を止めることは誰にもできなかった。
普段人の死と接している救急科医や救急看護師でさえ、子どもの死には慣れていない。
僕も含めその場にいる誰もがその死をまだ受け入れられなかった。
もう少しだけ、もう少しだけ続けてみよう。。
そんな思いだった。
それからしばらくして小児科の部長が現れた。
どうにもならない状況を確認し、
「お母さんを呼んでください。」
と言った。
その場にいる全員が意図を理解した。
どこかでその言葉を待っていたようで、ずっと聞きたくなかった言葉でもあった。
もうこれ以上の蘇生処置はやめよう、
ということだった。
ほどなくして看護師に連れられ、母が救急外来の扉を開けて入ってくる。
我が子を見つけるなり、一目散に駆け寄る。
「頑張るのよ!!大丈夫だからね!!」
我が子に、そしておそらく自分自身に希望を投げかけ続ける母の元に、
部長がそっと近づき横から声をかける。
とても優しい声だった。
「お母さん、この子はもう十分頑張ったよ。」
母はそんな言葉など聞こえなかったかのように子どもに叫び続ける。
「ほら、頑張りなさい!!大丈夫だから!!!」
「お母さん、これ以上はもう、、」
「うるさい!!!」
母の顔は怒りと哀しみと恐怖とが極限にまで入り混じった、この世のものとは思えない形相をしていた。
以前その子が退院したときに見せたときの笑顔とのギャップがあまりに大きく、僕は目を背けたくなった。
部長は黙って母と子を見つめた。
その間も母は大声で我が子に激励を飛ばし続けた。
それからまたしばらくして、
スーツ姿の父が息を切らせて救急外来にバタバタと入ってきた。
一定のリズムで胸を圧迫され続ける我が子と一心不乱に叫び声を上げる妻を目の当たりにし、
父は感情を顔に出すのも忘れてその場に立ち尽くした。
そんな状態が10分くらい続いただろうか。
蘇生処置に加わっていない医療スタッフ
らは、その状況を呆然と見つめていた。
他に緊急患者はいなかったが、それぞれ他にもやるべき仕事はもちろんあった。
しかし、皆その場から動けずにいた。
母はまだ叫び声を上げている。
ほどなくして、父が呟く。
「もう、、やめてください。」
その父の目はここではないどこか遠い世界を見ているようだった。
その言葉を聞いた部長が目で救急科医に合図し、
心臓マッサージをやめるよう指示を出す。
心臓マッサージにより一定のリズムで体が揺れていた子どもは、
その救急科医が手を離した途端、
まるでベッドの下にある磁石に吸い寄せられたかようにピタリと動きを止め、腕と足がだらんと落ちた。
心電図には綺麗な直線が描かれていた。
母が声を上げる。
「なんで勝手にやめるんですか!!」
部長がなだめようとして伸ばした手を振り払い、我が子に抱きつく。
救急科医がその場から離れるや否や、
ベッドに飛び乗り心臓マッサージをし始める。
リズムは一定ではなく、圧迫するところも違う、人工呼吸のタイミングもめちゃくちゃな心臓マッサージだった。
誰も何も言わずにそれを見守った。
いや見守ることしかできなかった。
父はその光景を見ながらふっと脱力し膝をつきその場でうずくまった。
ほどなくして嗚咽を漏らす声が聞こえる。
ベッドを囲む医療スタッフは20人を超えていたが、もはや誰一人声を出す人はいなかった。
母の叫び声だけが部屋に響き渡る。
「早く戻ってきて!!
そっちに行っちゃダメよ!!
ほら早く!!
戻りなさい!!戻れ!!戻れ!!!
そんなのいや!!
いやああああああああああ!!!
ああああああああ!!!!」
まるで断末魔の叫びだった。
その後事切れたかのように、母はそのまま我が子の胸に顔をうずめ、声にならない声で泣き続けた。
ドラマや映画のワンシーンを見ているかのような光景を目にしながら、
一体何がいけなかったのだろうかと僕は考えた。
どうすればこんな状況にならずに済んだのだろうか。。。
「この人、タバコばっかり吸ってたから仕方なかったのよ」
肺癌の高齢男性を看取った後で、その夫人が少し寂しそうにそう呟いたことがあった。
それは亡くなった本人を本当に責めているわけではなく、
大切な人を失った悲しみになんとか折り合いをつけようと自分に言い聞かせている言葉だ。
そういう言葉は、耐えがたい現実を少しだけ和らげてくれる。
そのとき僕はそういう言葉を無意識のうちに探していた。
何らかの原因を見つけ、それを責めてやりたかった。
何かを責めることができれば、気が紛れる気がした。
でもできなかった。
愛情を持って育てられた健康な1歳の子の突然の死に、納得のいくような理由など見つからなかった。
目の前にあるのは理不尽な死だけだった。
そこには被害者しかいなかった。
しばらく時間が経ち、母は我が子の上でうずくまり、父はそのベッドの横で跪き、どちらも声を出さなくなった。
沈黙が訪れた。
心電図の音と点滴アラームだけが空気を読まずにしきりに鳴り続け、それを近くの看護師が止めたとき、
普段は慌ただしい救急外来に嘘みたいな静寂が訪れた。
誰もが誰かが動き出すのを待っていた。
その静寂を最初に破ったのは母だった。
母は虚な目で起き上がり、徐にベッドから降りた。
そのままゆっくりと歩き始め、近くに立っていた救急科医に近づき、胸元を掴み、独り言のようにボソッと呟いた。
「なんで助けてくれなかったんですか?」
救急科医が上手く返答できずにいると、
そのまま別の医療者のもとにまたふらふらと歩き出し同じ質問を繰り返した。
その母の行動により一瞬にしてその場に緊張が走った。
早く誰か何か答えてくれと願ったが、まともに答えられる人はいなかった。
やがてだんだんと母が自分の方に近づいて来た。
やばい、と思った。
まもなく自分の番が回ってくる。
しかしその途中で部長が話に割って入り、慰めとなだめの言葉をかけ始め、母は歩みを止めた。
このときの僕は一瞬その子が亡くなったことも忘れて安堵していた。
自分が知っている子を目の前で失い悲しむのも束の間、かつて笑顔で会話した母になぜ助けなかったかと理由を求められる。
危なかった。
何が危なかったのか自分でもよく分からないけど、そう思った。
もしあの母が僕のところにまで来ていたら、
あの虚な目で見つめられながら胸元を掴まれ質問されていたらーーーーー。
想像するだけで恐ろしかった。
何度思い出してもあの瞬間は耐え難い。
地獄の瞬間っていうのは想像していた以上に静かなんだと思った。
その後徐々に落ち着きを取り戻した母は、最後に皆に謝罪し看護師とともに一旦救急外来を出て行った。
うなだれていた父もゆっくりとその後を追い、やがて姿が見えなくなった。
これで話はおしまいだ。
そのあと実はその子が奇跡の復活を遂げたとか、後日父母が我が子の死を乗り越えて笑顔をまた見せるようになったとか、
そんな美談は何もない。
その後に両親とは僕は一度も会っていない。
子どもの死という絶望を親と共有した。
ただそれだけだった。オチもどんでん返しもない。
そこから得られたのは次につながる有意義な学びではなく、己の無力感だけだった。
ちなみにその子がなぜ亡くなったのかについては結局分からずじまいだった。
実は健康な子が突然亡くなる、ということは稀だが他にも複数の報告がある。
それらをまとめて乳幼児突然死症候群というそのまんまな名前がつけられている。
要するに現代医療では解明できない謎の死だ。
後味の悪い話で申し訳ないけど、これが僕が医療をしていて一番感情が揺り動かされたエピソードであり、もう二度と経験したくないものだ。
「何事も捉え方次第」ってよく言うけど、僕は未だにこのエピソードを絶望的な切り口でしか語ることができない。
だから今回はそのまま書かせてもらった。
最後まで読んでくれて本当にどうもありがとう。