私がヨーロッパで教育学を学ぶ理由

私は中央ヨーロッパで教育学を学んでいる。

英語でもなく、勿論日本語でもなく、現地の言語で学んでいる。

ここまでくるまでかなり険しい道のりだった。

現地民からは「外国人なのになんで英語の学部を選ばないの」「言語学とは芸術系ならわかるけど、よりによってなんで教育学なん?」と奇人扱いされるし、「外国人が多い別の大学行けばいいのに、なんでここなん?迷惑かけないでよね」と面と向かって言われたこともあった。

自分で決めたことだから仕方ないが、とことん生きることが下手なのである。

今年はやっと教育哲学の研究のテーマを決めて段取りをしていたところでロックダウンが始まった。空いている時間にアポをとってお願いしてやっと機会を得た政治家とのインタビューや心理テストも全てキャンセルになり、全部プラットフォーム経由で行うことに切り替え、仕込んでいた論文の土台からやり直しになったし、研究メンバーの一人が連絡なく退学し、もう一人は彼氏とイチャイチャで忙しいらしい。一人で全てを全うしなければならない状況になった。加えて試験の準備だってあったし、仕事だってオンラインで授業を行わなきゃいけないからいつも黒板に書いていることを全プレゼンテーションで準備いなければならなかった。髪の毛も抜け落ち、円形ハゲが2つ出来たし、体重も4キロ痩せた。

でも全てやり遂げた。やっと夏休みは仕事と休暇に専念できる。

こんな奇人変人扱いされる私がなぜ教育学を学ぶ理由は何なのかというと、自分の育った環境に疑問を持っていたからである。

私は自分の負の感情を面と向かって伝えることが苦手なのである。

なぜかというと真っ先に恐怖心と諦めに近い感情が生まれるからである。

幼少期から怒鳴られて、長女だから、女だからと何かと我慢を強いられ、付き合う友達も限定され、自分の意思も意見もへし曲げられ、だが、親のやらせたいことや関わってほしい人とは強制的に関われさせられる。つまり、親の操り人形だった。それは高校を卒業して家を出るまで変わらなかった。

思春期になって様々な大人の考え方や言い分を聞く機会が増え、自分の家庭環境が逸脱しているものだということに気付いた。同時に「こんな人にはならない」と決意をした。

高校3年間はアルバイト禁止の学校なのにアルバイト生活。勿論給料の9割は母親が使った。10万近く稼いでも、私の手元にはいつも1万円。

最初の名目は大学の入学金だの言っていたのに自分が働かなくても子供が働いて稼ぐことに目がくらんだ家族は生活費として1万円以外の給料を徴収した。その1万円から教科書を買ったり、必要な物を買いそろえていた。勿論、学費が滞った時期もあった。

自分のやりたいこと、進みたい道も全て阻害され、高校卒業して叔母を経由して郵送されてきた物、それは残額ゼロになった預金通帳だった。

この頃には私には自尊心はなかった。やっと母親と離れられることに安堵したが、このまま誰かと結婚して田舎に暮らして専業主婦になるだけの人生なのだろうと思っていた。

家族から離れて10年が経ち、その間に私は新しい交友関係も築き、なんとなく「楽しい」とかポジティブな感情が出てくるようになった。

得意だった英語でいろんな外国人と触れ合い、彼らからポジティブなパワーをもらって少しずつ私にまた何かにチャレンジする意欲が戻ってきた頃でもある。いろんな資格を取得するために勉強したり、転職にも挑戦したり、仮装してみたり、人生楽しむ気力が出た。

有給を使ってオーストラリアへ行き、そこから現在の居住国へ移住した。

そして現地の言葉を学び、仕事を得、この国で出来るだけ長く生きていくために現地の大学で勉強も始めた。

最初は法学部か看護学部かで迷った。

あーじゃない、こーじゃない、と周りと話していたところ、私の上司が「あんたの人生に欠けていて、今後必要なものを勉強しなさい」と言った。

私の人生に欠けていたものは自由と自尊心だった。

だから私は未成年者の人権と機能不全家族を勉強している。

自分に何が足りないのか自覚した時とは、自分にとって何が一番大切なのかを自覚する時なのである。








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