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人間関係のカラクリ。出逢いにも別れにもいいもわるいもない
人間関係って
ずっと長く続けることや
壊れない、壊さないことがよいことのように思われがち。
男女が永遠の愛を誓うのもその現れ…じゃないかな。
けど、人間関係を続けるには、
お互いが同じような次元というか周波数帯というか、
要するにお互いが発しているエネルギーの『チャンネル』が合っている必要があるんだよね。
でないと、交信、交流できないわけで。
だから
現状維持を好む人どうしなら、
交信ができなくなるほどお互いが変わることもないだろうから
ずっと関係が続くかもしれない。
けど、どちらかが学びと成長を望むなら、
あるいはどちらもがそれを望んでいるもののそのペースが違うなら、
いずれ交信ができなくなっていく。
成長に伴って、人は発するものが変わっていくから。
「あの人、なんか最近変わったよね」
なんて言いながら疎遠になること、あるもんね。
もしも、幸いにしてどちらも同じようなペースで成長を続けるなら、
そして自己の成長にお互いが貢献し合えるなら、
ずっと関係は続いていくだろう。
面白いのは、それぞれの道がまったく違っていても、
チャンネルが合ってさえいれば交信し続けられるところ。
何をしているかや学びの道ややり方は問題じゃないんだよね。
逆に傍目には同じことをしているように見えても、
互いには交流しようとも思わないってこともあるよね。
チャンネルが違うと互いに存在していないのと同じってくらい、合わないもの。
かつて最高に氣が合った仲間であっても
かつて最高に愛し合った二人であっても
いつの間にかチャンネルが合わなくなってしまうことはよくあること。
そんな人どうしが無理をして関係を続けることが
お互いを幸せにするだろうか。
その関係が互いの人生に豊かさをもたらしてくれるだろうか。
学ぶこと、成長することを諦めてまで
続けていく必要がある関係なんて、あるんだろうか。
じぶんの本質が学びと成長を望んでいるのだとしたら、
それは止められないし、わたしは止めたくないな。
わたしたちは成長の過程で、
ともに学び合い磨き合える人と出逢うようになってる。
交信が起こって互いに引き合うから。
そして
お互いの役割を終えたら離れて、
また学び合える人との出逢いと別れを繰り返していく。
それが人間関係のカラクリ。
出逢いも別れもどちらも尊いもので、いいもわるいもないんだよね。
だから、約束や誓い、血縁ですらも人間関係を縛れるものではないんだよ。
とうてい法律などでは縛れない。
けど、世の中の多くの人は、これらでお互いを縛り合っているよね。
もう、じぶんも周りの人も自由にしようよ。
じぶんの内的世界が外側に現れているのだから、
もし今じぶんが縛られていると感じているなら、
相手のこともじぶんのことも、
縛ってるのはほかでもないじぶんなんだよ。
じぶんを縛れるのも、自由にできるのも、じぶんしかいない。