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山奥の小さな幼稚園 という奇跡 ~親育ての場~

この山奥の小さな幼稚園がなかったら、今の息子もわたしもあり得なかった。先生たちにはどんなに感謝してもし足りないくらい。
そんな先生たちとの入園して間もない頃のやり取りを書いた記事です。
息子をそのまま丸ごと見れるようになったもの、『とりあえず全肯定』という立ち位置でいられるようになったのも、大もとはこのときのできごとだったと思う。

また、この記事は2020年1月に天狼院書店のライティング・ゼミを受講したときに、ゼミの課題で書いた記事を転載したものです。
天狼院メディアグランプリに掲載していただきました。
元の記事はこちら

「つべこべ言わずに行っておいで!」

べそをかいているわたしに、先生は笑顔を向けながら、でもピシャリと言った。
彼女は、息子が通っている幼稚園の先生だ。

息子を育てるのが苦しかったわたしは、入園して最初の一年くらい、毎日のように送り迎えのときに先生と話しては、泣いていた。

この日は

「3歳児健診に連れて行かなくてもいいかな」

と先生に相談したのだった。

息子は1歳6か月健診で療育を勧められ、市の療育クラスを経て、児童デイサービスに通っていた。

その頃に、幼稚園に入園の相談に行ったのだ。
そこで、児童デイサービスに通っていることを話したら、しばらく息子の様子を観察してから、先生たちは言った。

「まっさらな状態で来てほしいから、デイはやめておいで」と。

何年も前からこの幼稚園に息子を入れたくて、入園の日を指折り数えていたわたしは、すぐさま言われた通りにデイサービスをやめた。

翌春、息子は晴れてこの園の子になった。
4年保育なので、入園してすぐに3歳児健診だった。

息子は思いのほか手が掛かるらしく、言葉もまだオウム返し。
3歳児健診に行けば、また何か言われるのは目に見えた。

(もうこの幼稚園で育てると決めたんだから、3歳児健診にわざわざ行かなくてもいいよね)

そう思ったわたしは、先生に「行かなくていいいよ」と言ってほしくて相談したのだが、先生からは思いもよらぬ言葉が返ってきた。

「お母さんがそうやって、セイジの不都合なところは見たくない、ってしてたら、セイジはお母さんの前で、じぶんを出さないようになっていくよ。それでもいいのかい?」と。

わたしはハッとした。
息子をありのままに見ようとしていなかったじぶんに気づかされ、胸が痛くなった。

「そんなのイヤだ!」

涙が溢れてきた。

「だったら正々堂々行っておいで! もし何か言われたら、わたしたちが責任もって見るからだいじょうぶって、幼稚園の先生が言ってたって言っておいで!」

先生はそうも言ってくれた。

「わたしたちが責任をもつ」

親でもない他人が我が子に対して「責任を持つ」と言ってくれるなんて、こんなにありがたいことがあるだろうか。
心の底から嬉しくて、力が湧いてきた。

息子に対する罪悪感や先生に対する感謝がない交ぜになってべそをかくわたしに、

「つべこべ言わずに行っておいで!」

と、先生は背中を押してくれた。

3歳児健診では、やはり児童デイに行くことを勧められたが、堂々と

「幼稚園の先生が責任を持つと言ってくれたからこのままで大丈夫です」

と、答えて帰ってきた。

この幼稚園は自然に囲まれた山奥にある、園児30名の小さな園だ。

子どもたちは野山に分け入って、山菜や木の実を採り、川で魚を獲り、雪山で尻滑りをし、一年中、雨の日も雪の日も外に出て身体を動かして遊び、
『さくらさくらんぼ保育』のリズムと歌で、身体と心の根っこを作っていく。

文字を知らない時期にしか育むことができない感性があるから、読み書きは一切教えない。
習い事もさせないし、テレビも見せない。
夜は8時に寝させ、朝は6時には起こす。
お弁当は手作りしたものを、曲げわっぱに詰める。
冬は手編みの靴下と手袋を履かせる。
などなど、たくさんの決まりごとがある。
一見厳しいが、すべては子どもたちの日々の生活と成長のためであり、すべて理にかなっていた。

だけど最初の一年間、どうしても実践できないことがあった。

息子は1歳の頃から、勝手にパソコンを開いてYouTubeを観ていた。
お気に入りは、「盲人用の音が流れる信号」を撮影した動画だった。

テレビは見せなかったが、パソコンをやめさせることだけはできなかった。

あるとき、息子が園で「通りゃんせ」のメロディを歌っているのを聞いた先生が、どこで覚えたのかを何気なく聞いてきた。

コトの重大さに気づいていなかったわたしは、ありのままを答えた。

すると、先生は目に涙を浮かべながらこう言った。

「わたしたちがどんな思いでセイジと関わってると思ってるの! 先生たちみんなで代わる代わるいっぱい抱きしめてスキンシップして、肌のぬくもりを教えてるんだよ! それなのに、お母さんがそんなことでどうするの!」

入園してからのこの一年の、息子の成長は著しかった。
人に興味を示さなかった子に、友だちができた。

でも、その成長のかげには、先生たちの多大なる努力があったのだ。

「まわりの子どもたちだってたぶん、なんでセイジばっかりそんなにかまってもらえるの? って思ってると思うんだよ。それがわかっていても、それでもわたしたちはセイジに手をかけてるんだよ!」

とも。

(そうだったのか……)

わたしは何もわかっていなかった。

その日の帰り道、先生の思いと幼稚園の決まりを息子に話して聞かせた。
息子は「わかった」と言い、それ以来、在園中にパソコンを開くことは一度もなかった。
そんな息子の様子から、先生たちと息子が、どれほど強い絆で結ばれているかが痛いほどわかった。

その日以来、わたしは

(先生の言うことは全部聞く!)

そう心に決めた。
そして先生たちと一緒に、息子の成長のためにできることを精一杯やり切り、
親子そろって胸を張って卒園の日を迎えることができた。

親として未熟過ぎたわたしを育ててくれたのは、先生たちだ。
山の幼稚園は、親育ての場だったのだ。

「親が大丈夫なら、子どもは大丈夫」

と、先生は常々言っていた。
だから、親のわたしに厳しく接してくれたのだ。

「すべては子どもたちのためにやっているんだよ」と。

この小さな幼稚園が存在してくれた奇跡に、そして先生たちに心から感謝している。


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