『人にされてイヤなことは、人にしない』と教わったけど、それよりも大事なことがある
50歳を過ぎて就職した会社では
10年先輩が20歳くらい年下だったりする。
そんなパイセンと雑談していたときのこと。
会話の流れから
「じぶんがされてイヤだったんだから、ボクはしませんよ」
と彼が言ったのに対して、とくに深い考えもなく
「じぶんがされていやなことは人にしちゃだめってのは、子どものときに教わるもんねー。」
みたいなことをわたしは軽く返してた。
けど、なんだかそのことが喉元で引っ掛かったままになっていて、
今ふと思った。
『人にされてイヤだったことを人にしない』
そのことよりも前に
イヤなことをしてきた相手を『赦す』
っていうのが大事なんじゃないかと。
子どもに教えるべきは、まずこっちなのじゃないかと。
なんかね、人にされてイヤなことを人にしないって
昨今の「迷惑かけちゃいけない」社会
という状況に繋がってる氣がするの。
迷惑かけずに生きられる人なんてこの世にいないし、
迷惑って、ただ双方の利害が一致してないってだけ。
それは、人と人の関わりの中では避けられないことだもの。
そこで、じぶんを曲げたり我慢することを選んでしまうのは
じぶんの心の中に
『人にされたことを赦せないじぶん』
が居るから。
そして心の中のそのじぶんが、
利害の不一致を迷惑として許さない人を目の前に創り出しているんだよね。目の前の現実は、じぶんの内面世界の現れ、なのだから。
されてイヤなことは、イヤと意思表示する。
でも、相手は赦す。
負の連鎖を意志の力で断ち切れるのはじぶんだけ。
わたしはお互いが赦しあえるような社会がいいな。
これ、漫画の『静かなるドン』から教わったこと。
いや、ホントに。
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