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【プロフィール】本来のわたしに還る旅

プライベートサロン〈 ホロスルーム hicari 〉のセラピスト
米国IBA認定ボディートーク施術士の
ペコスキーこと やました かよ です。

ボディートークという意識に基づいた療法をメインにセラピストとして札幌で活動しています。

= わたしがお伝えしたいこと・未来像 =

◆ 変わろうとしなくても、本来のじぶんに還るだけでいい
◆ 本来のじぶんに還るには、不要な信念や感情的なトラウマを手放せばいい
◆ 思考と感情の正体を知り、扱い方がわかると生きるのが格段に楽になる
◆ 日ごろから感情を身体で味わい感じ切る

それによって、

◆過去と和解し、今を生きられるようになる 
◆人生が変わるほどの氣付きをもたらしてくれる
◆じぶんの軸がわかり、じぶんを生きられるようになる
◆感情をため込むことがなくなるためエネルギーロスが減り
やりたいことにエネルギーを全振りできるようになる


対話とボディートークの施術を用いて、あなたの治癒する力を再起動・促進して、あなた自身の力で本来のあなたに還るためのお手伝いをいたします。

= これまでのこと =

かつてのわたしはじぶんでももう思い出せないくらい心が荒んでいたと思います。
いつも些細なことで腹が立ち、他人を責め、そんなじぶんのことも責めて生きていました。
じぶんのことが大嫌いで、できることなら性格のいい友人と中身をそっくり取り替えてほしい、と思っていたほどでした。

子どもの頃から人間関係での摩擦が絶えず、
漠然とした生きづらさを抱えたまま大人になりました。
両親や兄との関係も良好とは言えませんでした。
実家は居心地のよい場所ではなかったため、24歳で結婚するも33歳で離婚。
35歳で再婚し、38歳目前に息子を出産するも育児困難に陥りました。

産院を退院したとたんに
死なせてしまったらどうしよう…
育てる自信がない…
そんな不安でいっぱいになり、

あぁ、もうわたしには自由がないんだ…
もう前みたいにやりたいことできないんだ…
と、お先真っ暗な気持ちになってしまったのです。

夫の助けとママ友達の励ましで
どうにか息子のお世話をしていましたが
精神的にはいつもいっぱいいっぱいで
誰か代わりに育ててくれないかな…
そんなことも考えていました。

息子のことはとてもかわいく愛しく思うのに
育児を辛く感じるじぶんを責める日々。

その苦しさはやがて両親への不満となって爆発し、
両親を逆恨みするようになってしまいました。
両親の育て方が悪かったから、わたしの育児が苦しいに違いない…と。

息子に対しても些細なことで腹が立つじぶんをどうすることもできず、
でも絶対に手をあげることだけはするまいと決めていました。
一度でも手を上げたら、もう抑えることができなくなるんじゃないか、と。
そんなじぶんがこわかった。
全国ニュースで流れる幼児虐待のニュースとわたしは紙一重だと思っていました。
どうしても怒りを抑えられなくなったら、
物置部屋に一人こもって段ボール箱をラップフィルムの芯でバンバン叩いて
そこに怒りをぶつけることで、どうにかじぶんを保っているような状態でした。

この苦しさから抜け出したい
息子を笑って育てられるようになりたい

心からそう願いました。
そして、ここから抜け出すには両親との関係を修復するしかないに違いない…
そう思い立ち、じぶんに向き合うことを始めたのです。

感情を解放するためにヒプノセラピーに始まり、
いろいろなセラピー手法を学んで実践を続けるにつれ
生きづらさの原因がわかり、思考や感情の扱い方もわかるようになりました。

物事の捉え方が変わり
わたし自身の未熟さにも痛いほど気づかされました。

育てにくいと感じていた息子は年長さんのときに自閉症と診断されましたが
かえって気持ちが楽になり、息子にイライラすることも減っていき、全肯定の姿勢で育てることができるようになっていきました。
そしてようやく両親が産んで育ててくれたことに感謝が湧くようになったのです。

やがて、わたしと同じような苦しさを感じている人の役に立てたら…と思うようになり、セラピストとして活動し始めたのです。

セッションよりも講師としての仕事が中心になりましたが、
数年の活動を経て廃業しました。
今にして思えば、まだまだじぶんを満たせてはおらず
言わば「鏡」としてやってくる受講生さんやクライアントさんと向き合うことに疲れ果てて、エネルギーが尽きてしまったのでした。

その後
やりたいことをやって気楽に生きよう!と
51歳にして正社員としてものづくりの会社に就職。
若い頃からやりたかったデザイナーとして、ものづくりの仕事に就きました。
illustratorやPhotoshopを使ってデザインしたり加工用データを作ったり
カッティングシートやレーザー加工など、ものをつくる仕事は面白く楽しいものでした。

定年のない会社でしたので、余生をここで送ろう…そんなふうに思っていたのです。
ところがどっこい!
仕事は楽しいものの、向き合わされることもたくさんありました。
これまで感じようとしてこなかった感情をここぞとばかりに感じさせられる出来事が起きたりもしました。

そしてわたしの人生はまた再び、人を癒す方向へと舵を切り始めるのです。

同僚が作った新製品がきっかけで、
ボディートークに出会ったのです。

その顛末はこちらに詳しく書いてあります。
【 ボディートークとの出会い 】~会社のパイセンが繋いでくれたわたしの新たな道~

上の記事を書いたときには、まさかその半年後に会社を退職しているとは思ってもいませんでした。
けれど運命の歯車の勢いはとどまらず、
ある出来事が社内で起こったのを機に、
背中を押されるようにしてボディートーカーとして生きる道を選択することになったのです。

認定施術士になるまでの一年間は完全無料でセッションしてきましたが、
以前セラピストをしていたときのような苦しさはまったくなく、
セッションさせてもらえることが嬉しくて嬉しくて。
世間でよく言われるような、お代を頂かないと枯渇する、
ということもありませんでした。
むしろ、やればやるほどエネルギーが満ちていました。

練習相手になってくださった方々にも喜んでいただき、
やっと正真正銘わたしがコツコツ培ってきたことを人さまのお役に立てられたのだなぁとしみじみありがたく思っています。
この感謝を忘れずに活動を続けさせていただきます!

じぶんを満たすことなしに、まわりを満たすことはできません。
それも忘れずに、いつもじぶんを満たし喜ばせてあげられるわたしでいたいと思います。

= ペコスキーこと やました かよ について =

滋賀県出身
中学卒業まで滋賀で過ごし、高校から三十半ばまで東京・埼玉で暮らす。
北海道好きが高じて、互いに北海道を旅しているときに出会った夫と2007年、札幌に移住。
現在、鉄分濃いめの高校生息子と夫の三人暮らし

予定を決めず行き当たりばったりで旅するのが好き
生クリームたっぷりのスイーツが好き
アルコールよりカフェイン
この先の人生で飲めるのはお酒かコーヒーどちらか一つ、
と迫られたら迷わず、コーヒー!と叫ぶ

『ペコスキー』は埼玉在住時代のラジオネーム
その後、妊娠を機に登録したmixiでもハンドルネームに使用
育児困難から始まった癒しの旅も螺旋を一周。
原点回帰でこのハンドルネームを使ってみようと思いました。

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ボディートークセッション

札幌市中央区のサロンでもオンライン(ZOOM)でも受けられます!
遠隔、代理セッション、ペットへのセッションも可能です!

プライベートサロン【ホロスルームhicari】
札幌市中央区 地下鉄西28丁目駅徒歩4分

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