中3息子が不登校になりました
この記事は、大型連休明けから学校に行かなくなった息子について書いています。
学校に行かなくなるまでの経緯、親のわたしの心境の変化など、
この記事だけでは書ききれないので、連載で書いていこうと思っています。
ゴールデンウィーク明けから息子が学校に行かなくなりました。
中学3年生になってから「休みたい」という日が増え始め、
ゴールデンウィーク直前にコロナに罹患して欠席後そのまま連休に突入し、連休が明けても倦怠感を理由に息子は朝、起きてこなくなりました。
わたしもコロナ罹患後、回復してもしばらく倦怠感が続いた経験があるので、息子もコロナのせいかもしれないと様子を見ておりました。
しばらくすると、朝は起きてこないけれど、午後くらいになると普通に元氣で、ごはんもモリモリ食べるようになりました。
さらに、5月末の修学旅行には早朝から起き出してルンルンで出掛けていったことから考えると
体調の問題ではなく、氣持ちの問題らしい。
けれど息子自身、なぜ学校に行きたくないのかがはっきりわからないようで、理由を言葉にできません。
学校を休んでいても、友達とはLINEで繋がって遊んでいるし、
修学旅行の班決めも陸上競技会の種目決めも息子不在のうちに、息子によいようにクラスメイトが決めてくれていたみたいだし。
マメに電話をくれる担任の先生も、わたしが受ける印象は悪くなく、
息子に聞いても「別にイヤじゃない」と言うのです。
人間関係には問題がなさそう、
ということで、考えられるのは学習面。
進学のこと、受験のことであろうかと。
息子は幼稚園時代に自閉症スペクトラムと診断されたこともあり、
苦手なことを無理にやらせて引き上げようとせず、彼のペース、彼独特の世界を大事にしながら育ててきました。
小学校に上がってからも、あまり制限をかけず、
勉強しなさいとも言いませんでした。
なので、好きなことだけをしてここまできましたし、勉強は授業と宿題以外は何もしませんでした。
とは言っても
制限をかけないことも、勉強のことも正直言えば、ものすごく葛藤がありました。
悩んで迷って葛藤して、ときにうっかり爆発させて、それを息子にぶつけてしまったこともありました。
彼の中で光っているものを曇らせたくない。
曇らせてはいけない。
そんな心の声と常識との間でいつも葛藤していました。
公教育のあり方に疑問を抱いて、フリースクールに入れたこともありましたが、8カ月通った末に息子自ら、「地元の小学校に戻りたい」と言って、以来地元の小中学校に通っていました。
小学校では宿題のプリントが1枚、毎日出されるのだけど、
「やりたくなかったらやらなくていいけれど、先生に『ぼくはやりたくないからやりません』ってじぶんで言うんだよ」
と言ってありました。
息子は先生にそれを言うことよりも宿題をやることの方を選んでやっていたようです。
言えない息子の性格をわかって言ってるんだから
ずるい親ですよね(笑)
中学に入ると、息子が将来の夢を持つようになったのをいいことに、
「それを叶えるためには勉強して進学しなきゃいけないんだよ」
と言い含め、
中学1年生のときに、信頼できる教育者の友人に家庭教師をお願いしたこともありました。
何か月か続けてみたけれど、息子は次第に拒絶するようになり、家庭教師はやめていただくことになりました。
家庭教師をお願いしておきながら、息子だけでなくわたし自身もものすごくものすごく葛藤があったのです。
息子が拒否してくれたことを、内心ほっとしているわたしがいました。
このできごとで、息子の教育に関して深く向き合うことになりました。
そして、わたしの中に大きな大きな思い込みと執着があったことに氣が付いたのです。(この話はまたの機会に)
また、このできごとによって息子が抱いた将来の夢を、現実に直面させることで実質、諦めさせてしまう結果になってしまいました。
この一件以来、息子に勉強を強要することは一切やめました。
「勉強しなさい」と言うことも『親の愛』なのかもしれない、そうも思うこともあります。
けれどわたしはそれとは違う『親の愛』を選ぶことにしたのです。
3年生になってすぐに提出する『進路調査票』を書くことにずいぶん抵抗していました。
やりたいことがわからないし、高校に行きたいかもわからない
何も書くことがないのに、書かなければならない…
そんな心境だったはずです。
苦渋の表情がそれを全力で表現していました。
じぶんに素直でまっすぐな息子は納得しないと動きません。
刹那を生きている息子には
将来のために今 勉強する、とか
将来のために高校に行く
ということもよくわからないようです。
「将来やりたいことを見つけるために、高校に行くんだよ」
と家庭訪問に来てくださった担任の先生に言われていたけれど
その意味は息子には伝わっていないでしょう。
「書くことがないのなら、書かなくていいよ。」
「出したくないのなら、出さなくていいよ。」
あのとき、そう言ってやれればよかった。
今なら迷わずそう言います。
でも、このときはまだ言えなかったんです。
学校に行かなくてもいい。
ムリに高校に行かなくてもいい。
そう思っているわたしもいたけれど、
できれば学校に行ってほしい。
できれば高校に行ってほしい。
中卒は避けたい。
そう思っているわたしも居たから。
それで、2年生のときの担任の先生がすすめてくれていた学校名を
「とりあえず書けばいいよ」と言って書かせてしまったんですよね。
これは本当に親のエゴでしかなかったな…。
今はね
中学校も行かなくてもいいし、高校も行きたくないなら行かなくてもいい。
中卒でもいい。
そう思っています。
息子は中学生ながら、行きたいと思えば単身で全国どこへでも鉄旅に出るし、
真夜中に撮影したい列車が来ると聞けば、勝手に起き出して出かけていく。
じぶんの内側から「やりたい!」が出てきたときにはそれをやるエネルギーも瞬発力も持っていて、目的が明確にあれば自ら動ける子なので心配無用なんですよ、ホントは。
そう思うに至ったのには、
これまた大きな思い込みに氣付いたことと
ある人のお話会に参加して、お話を聞けたからでした。
次回はお話会のことを書きたいと思います。
〈ヒカリの学校〉
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