ユトリノヒトリ【01】 #23歳くらいがオバさん
朝日が差し込むカーテンを勢いよく開ける。
眩しい。あぁ……夜ちゃんと眠れるって良いもんだなぁ。もうオールなんてできないな。
そんな事を考えながら鳴る前のアラームを止めて、パソコンのチェック。
リビングから淹れたてのコーヒーの香りがする。香りだけで目が覚める気分だ。そう思いながら飲みかけのミネラルウォーターを乾いた喉に、一気に流し込む。
そして、もう一度眩しい朝日を浴びたくてベランダに出てみた。
もう……何年経つんだろう。
あの頃、どこか罪悪感を抱え、それでも優越感のようなものも隠しながら見上げた、あの朝日とは違う朝日だ……当時の私は、全てが手に入るような、そんな気がしていた。
一ノ瀬真琴。みんなはマコと呼ぶ。1988年1月生まれの30代。
15歳の頃、23歳くらいがオバさんだと思っていた。いや、本当に。
小学校1年生の頃からのスローガンは……
みんなちがって、みんないい
いわゆる、ゆとり世代に属している。
それも1番最初の世代で、確か小学校低学年から土曜日が全て休みになった。
小学校3年生くらいでポケモンの放送が始まり、だんご3兄弟も流行った。ルーズソックスにピッチやケータイ、プリクラとキリがない程浮かんでくる。そんな時代が私の世代だ。
今思えば私の人生、女子高生の頃が1番調子に乗っていた。先生と喧嘩したり、夜中に集合したり、家に帰るのが嫌だったり。
16歳くらいで結婚して若いママになりたいとか言ってた時期もある。本当に脳内がお花畑な子どもだったと思う。
そして16歳になった時、もちろん彼氏なんて居ない。夢中になっていたのはダンスだ。
当時はw-inds.に憧れてチームを組んだり、自分でホームページを作ったりして、田舎から遠征して大阪の城天と呼ばれるストリートパフォーマーが集まる場所へ通ったりしていた。
16歳で思い描いた未来はプロのダンサー、キッズスクールの先生。
バイトをしながら、夜に集まって練習をしたり語ったり。毎日が自分のことだけで良かった。
やがて高校3年生になり、進路を決める時期。
私は迷わずダンスができる専門学校を選んだ。受験なんてないし、体験入学をして願書を出せば入学できる。
もう将来決まったようなもんだぜ!ぐらいな気持ちで好きな事に一直線だった。
・・・・・・・
そして春が来て、私はなんとかギリギリで高校を卒業し、気の合う友人と大阪へ出てシェア生活が始まる。
彼女は美容やヘアメイクの専門学校へ通っていたので、毎日が楽しくてお互いに明るい未来しか見ていなかった。
特に私は本当に考えが甘かった。すぐ流されてしまう不安定な自分を行動力があると褒められて図に乗っていた。
とてつもない盛大な勘違い
それが後に人生を狂わすことになると、どうしても気付けなかった。本当に甘くてスッカラカンな脳内だった。
結論から言うと私は未だに結婚していない。そして、ダンサーにもキッズスクールの先生にもなっていない。
夢を抱いて都会へ飛び出したゆとり第一世代の私が、一体これからどうなっていくのか、少し長い話をしようと思う。
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こちらは再編して、小説にしてみました。実は個人を特定されてしまうと困るという事で有料にしていたのですが、限りなくノンフィクションに近い、一部フィクションということで、無料で公開することにしました。
peco
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