わたしの愛した猫たち そして今
実家にはいつも猫がいた。
小学生の時、捨て猫を拾ってきて飼い始めたのが最初で白黒のブチ猫だったが、わたしたちは「ブッちゃん」と呼んでいた。
「ブッちゃん」。今思うと変な名前である。
次に来たのはハチワレ猫。小さいから名前は「チビ」 …安易なネーミングだ。安易な名前といえば、黄土色(おうどいろ)薄い茶色の毛色の猫を「おうどちゃん」と呼んでいた。安易すぎる。
そういえば、近所に評判悪い雄猫が居た。 隣りのおばさんは触ろうとして引っ掻かれ、腕が2倍程に腫れ上がった。 触ってはいけないよと恐れられていた白い猫。名前は「トラ」。?変である。白い猫、トラ猫ではないのに「トラ」
猫にまつわる思い出を書き出すといくらでも書ける。とにかく猫が大好きだった。 家に帰ると共に遊び寒い冬は一緒に寝た。ゴロゴロと喉をならしてた。暖かく柔らかくて。
雌猫が出産したこともあった。 生まれたばかりの赤ちゃんはとても小さく、なかには死んでしまった子もいたが、2ヶ月くらい経つと天真爛漫、可愛くなり その後は毎日が運動会。じゃれあい、カーテンを登ったり網戸を破いたり。
猫はおとなになっても可愛い生き物であるが、子猫時代の可愛さはもう格別のものである。
今と違い、犬は犬小屋で飼い、猫も家と外と出入り自由だったのが普通。そのために家を出たまま帰って来なかった子もいたし、 雄猫同士の喧嘩で怪我して帰ってきたのもいた。
車にひかれて死んでしまった子、登り詰めた電信柱から落ち脚が骨折してブランブランになった子…
大好きな猫たち。。
彼等は猫本来の野生を見せることがあり、狩も好きだった。ジージーいうアブラゼミやトカゲをくわえてきたり、スズメを捕まえてきては「これ、見て!」と、得意げにわざわざ目の前に置くのである。
あるときは庭先でバサバサ音がする。何かと見れば黒い大きな鳥。 ぎゃー。あれはカラスだったのだろうか。 猫に狙われるとは間抜けなカラス、あるいは弱ってたカラスだったのかもしれない。
残酷なもので、仕留めた獲物が動いている間はじゃれたり遊んだりしているのだが、 絶命して動かなくなると興味がなくなりそれらを置いて、どこかへ行ってしまうのだ。
そうそう独身時代最後に飼い始めた「ミル」はパステルカラーの茶色で、手の平に乗るくらい小さかった。何度も言うが子猫というのは本当に可愛い。
結婚して久しぶりに夫と実家に行った時の事。もちろんミルは元気にいた。夫がミルを見て一言。「あれ、たぬき?」そう、ミルはとっても成長していたのだ。 あんなに大きな猫をわたしはいまだかつて見たことがない。。
…
懐かしい、愛しき猫たちよ。。
そんなに猫好きなのに結婚してからは猫を飼わなかった。わたしは猫は大好きだが、実家では可愛いがるばかりで、 肝心のお世話は母任せ。
ご飯の用意、吐いたものの掃除、 猫たちが遊んで餌食となった生き物の片づけ。 弱って死んでいく猫の世話や死んだあと裏庭に埋めたり。。 そういうことは全て母がやっていて、わたしには無理だと思った。
なりよりも 死んでいく大好きな猫たちを送るのは、悲しく辛すぎる。耐えられない。だからペットはもう飼わないと心に決めていて、 子供たちに犬を飼いたいと何度せがまれても強固に反対した。もう大人になった彼等も諦めていたと思ったのだが。。。
その後 紆余曲折を経て、我が家にトイプードルのメスの子犬が来たのだった。その可愛さに皆メロメロとなったが、4年過ごしたあと長男と一緒に巣立っていき、現在では野球の大谷選手のように 『2人(1匹も)』の、生活をしている。(たまに里帰りする)
今の所、家に猫はいない。
…
4月8日 公式マガジンに追加されました
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