学校に行けなかった頃と向き合ってみる
突然ですが、私は高校2年生の頃に不登校の生徒でした。
厳密にいえば、登校はしていましたが、いわゆる「保健室登校」というものです。
以前の記事で「なぜ不登校になってしまったか」について軽く書いたのですが、今回はもう少し素直に書いてみようと思います。
長くなるので2~3個の記事に分けようかと思いましたが、
書きたいことを素直に書けなくなりそうなので、分けないことにします。
そして最後には、学生さん、学生のお子さんを持つ方へ伝えたいことを書きます。
不登校のはじまり
きっかけは本当に些細なことです。体育祭を前日(?)に控えた夜、「体育祭を開催している間、きっと私は一人ぼっちになる」と確信していました。
しかし、私の通う学校はケータイ禁止で、1~2種目しか出ないにもかかわらず、1日中グラウンドにいなくてはなりませんでした。
体育祭で誰かと一緒にいる自分を想像できなかったとき、わたしは「このクラスに私の居場所はないんだな」と確信してしまいました。
不登校のきっかけはずっと前から
居場所がないということには、体育祭の前から薄々気づいていたのだと思います。
朝、クラスに入ると自分の机に他のクラスメートの荷物が置かれていること。
校外学習で私が切符を買っている間に、クラスのみんなが先に移動してしまって1人で迷子になってしまったこと。
班の中で2人組を作って作業をするのに、なぜか私だけ一人で作業をするように言われたこと。
みんなで新聞を作ったはずなのに、私が書いた記事だけ完成版に載っていなかったこと。
一言、言えばよかったのだけれど、自分に自信が無かった私は、「私が我慢すれば、誰も手間が増えない」と心の底にしまい込んでしまったのです。
だけど、これら一つ一つの出来事は、私の知らないところで、着実に、私の心を抉り、傷つけ、劣等感を育てていったのです。
忘れられない表情
不登校だった私も、たまに授業へ行きました。
自分のクラスなのに、緊張で吐きそうでした。なにか、いいことがありますようにと願いながら行きました。
「授業中もさ、1回も目合わないし、しゃべらないし、つまんないわ。」
数学の授業の後に、隣の席のAちゃんが、その仲良しBちゃんに言った言葉が偶然聞こえてしまいました。
私は、その言葉自体はあまり傷ついていませんし、言葉だけなら忘れていたと思います。
でも、私は振り向いてしまったのです。そして私に気づいたAちゃんは、あからさまに「やばい」という顔をしました。
その顔が忘れられません。
SNSでの悪口と拡散
そして同時期にはTwitterでの悪口もありました。私の実名と、悪口の書き込みがありました。
そしてそれを「いいね」している人、「リツイート」している人もいた。
学校に行くと、すれ違う人全員が「いいね」した人、「リツイート」した人に見えてしまいました。
私はすぐにTwitterのアカウントを削除しました。
いまでもTwitterのアカウントは誰にも教えていません。
最悪の修学旅行
またもう一つは、修学旅行の部屋割り決めのこと。
保健室にいた私に、わざわざ2人組のクラスメートが同室でいいか、事前に確認しに来てくれました。
とてもうれしかった。忘れられていなかった。私の居場所が確保された。一人にならない。そう信じて、部屋割り決めの時間は教室に行きました。
でもなぜか私は余った。一人だった。裏切られたと思った。
その二人が、なぜそんなことをしたのか、今でもわかりません。でもやっぱり、私の居場所はなかったのです。
それだけでも悲しかったのに、私ともう一人余ってしまった子を、どこの部屋に入れるかという話になったとき、誰一人として入れてくれる子はいませんでした。
挙句の果てには「じゃんけんで負けたグループに入れよう」と。
目の前で行われるじゃんけん大会。勝った2人組が抱き合って喜ぶ光景。教室から飛び出したかった。
私ともう一人の子は、クラスメートにとっては「罰ゲーム」でした。
誰が、こんなクラスメートと修学旅行なんか行くか!と思いました。出席日数の関係でちゃんと行きましたが。
その修学旅行はあまり記憶にないです。早く帰れますようにと祈っていたことは覚えています。
不登校から通常登校へ
驚くことに、冬休みが明けると学校に普通に行っていました。
(とてもとても行きたくはないけど)出席日数の関係で修学旅行にはいかないといけないし、授業にも出なくては留年してしまいます。
私の不登校期間は3カ月ほどだったと思います。期待することをやめたのでクラスに戻れたと思っています。
その後もお昼は一人で食べました。でもたまに数人とおしゃべりはできるようになりました。
あと、学級委員になっていました。
なぜ今これを書くのか
私を意図的に省いていた人がいたのであれば、正直、許せない。
でも、分からないんですよね。誰がやってたのか。
もしかしたら、「そういう空気感だった」だけで、意図的にやっていた人なんていなかったのかもしれない。
捉え方の違いもあるし、「え、そんなことがあったの!?」と驚くクラスメートのほうが多いんじゃないかな。
それに、陰口とかTwitterの件の子とか、部屋割りの件の子も、多分、そうした理由があったんだと思うし、私に100%非がないとは言えないし。
まあ、でも、どこかで吐き出しておかないと、ずっと引きずるし、実際引きずって生きてきたので、ここで降ろさせてもらおうかなと思いました。
そして、伝えたいのです。
一人でいるクラスメートを見かけたら
もし、これを読んでくれた方の中に学生の方がいて、一人でいることがおおいクラスメートを思い浮かべたら、
挨拶だけでもいいです、声をかけてください。
「一人が好きな子」と決めつけないで。
勇気がいることかもしれない、だけど、挨拶一つで「あなたはクラスの一員だ」と伝えることができます。
クラスの関係で悩みを抱えるお子さんを持つ方へ
私は母に相談した時、「一人で何でもできるようにならないとダメよ。」と言われました。
確かに’誰かと一緒’という基準で行動すること、判断することは良いことではないです。
でも、大人が考える「一人」=「自立」です。
子どもが直面している「一人」=「孤立」です。
また、私は母に「学校に行きたくても行けない子もいるんだよ」と言われました。
確かにそうだ。でも、私はその時、「学校に行きたくなくても、行かなければならない」状況でした。
どっちが辛いか、不幸かなんて、比べられるものではないと思います。
そのことを忘れないでいてほしいです。
さいごに
ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございました。
私は大学の卒業旅行として、もう一度、高校の修学旅行で行った場所を巡ろうと思っています。
修学旅行はあまり記憶がないので、楽しい記憶に塗り替えてこようと思っています。