「ナイトオンザプラネット」
映画館に行きたくて上映中の作品をスクロールしていたら偶然見つけた題名。
クリープハイプの「夜にしがみついて、朝で溶かして」が好きで、映画「ちょっと思い出しただけ」が好きな私にとっては願ってもないことだった。
ウィノナライダー、本当に一体何本煙草を吸ったのだろう。
「リバイバル上映」。心が躍るのを感じた。私はすぐに1番後ろの席を予約をした。
同時刻に5つの異なる場所で起こるタクシー内の出来事を描いていく内容は、全てが日常で、それでいて一人一人の大切な一瞬だった。
夢も本性も悲しみも、タクシーという小さな世界の中で溢れていて、生きているとこういう感情に振り回されて疲れて消えたくなるときがあって、それでも続いていく毎日を淡々とこなしていくしかないのだと感じた。
映画が終わって明るくなって観客たちが各々立ち上がって帰り支度をしているところを見て思った。
彼らも私も、今さっき観た映画の登場人物たちと同じだ。
2時間同じときを過ごした私たちも、劇場を出たら何の関わりもないし、おそらく二度と会うことはない。会ってもわかるはずがない。
エレベーターに乗ってる間も、当たり前だが一言も言葉を交わすことはなく、出口に着いたら皆そそくさと帰っていく。
タクシーを降りた後だって客をタクシーから降ろした後だって、それぞれの人生は勝手に進むし、世界は劇的には変わらない。
映画を観た後だって、劇場にいた人たちの人生は勝手に進むし、世界は劇的には変わらない。
ただ、この映画が私の人生にこのタイミングで入り込んできたことには何か意味がありそうで、それが何かはまだ何もわからなくて、でも大切にしないといけない気持ちだと思った。
何かを引きずって生きるのも悪くないし、それすら忘れてしまうのは寂しくはあるけど、ふとしたときちょっと思い出すというのも悪くない。
忘れたいことを無理に忘れようとも思わなくてもいいし、傷だらけになってまで大事にしようとも思わなくていい。
どうせいつか大抵のことは忘れる。それでも忘れずに記憶に残っているものは忘れてはいけないものだから、忘れることを諦めればいい。
諦めたとき、いつの間にか別の思い出が記憶を彩ってくれることだってあるのだから。
登場人物たちの人生が、この世界のどこかでまだ続いていてほしい。
深夜や明け方の時間帯、タクシーは今も人生を乗せて人を目的地へ送り届けているだろうか。
コーキーは整備工になるという夢を叶えているだろうか。