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ミッドナイトスワン
草彅剛の演技、この役に関してはあの「演じてます」感をあえて前に出しているテイなのが良い
まるで、自分がトランスジェンダーであることにいつまでも慣れていない、そんな雰囲気を醸す事に成功しているように思えた
誰もが「自分」というモノを演じ続けている、現代においては特に、「自分」を煙に巻く為のデバイスがこれほどに発達し蔓延っているので、その「人間の輪郭」がぼやけてしまう訳で
だから、いつまで経っても自分自身に"しっくり行っていない"のは、主人公が何もトランスジェンダーだからだというわけではない、それは現代の人間が誰もが抱える普遍の問題だったりする
自分と他人の距離を測ることが難しい時代において、一果と凪沙の関係が、初めは強引に作られて行くのだが、お互いに自分自身に対する「違和感」を抱えた者同士だから深い、深いところで繋ぎ合うのは必然なのだろうなぁと
憤りや歓喜や絶望や恍惚が、ないまぜになったような日常の中で、重なる「澱」を拭いきれないままに、全て抱えて生きて行くしかないという残酷
いっそ自死を選んだ"りん"のように潔くなれたら楽なのかもしれないけど、そんな事は出来ずにまた日常でしがらみと抗うのが関の山だろう