最後だった
眠い眠い眠い。眠すぎて瞼が落ちてくるどころか、首が真後ろに倒れる。
ただ今は、この気持ちを残さないと、消えてしまいそうで。
感情だけで、残したい。
去年のTABIPPO大阪支部の打ち上げの時もそうだった。
今すぐ書かないと、と思って、清掃のシフトの直前に書いたんだっけ。
結局その時の清掃のお仕事は、ちょっと遅れた気がする。
そして、トイレットペーパーの在庫が切れてた、気がする。
今は朝8時。木津駅。
なんの最寄りでもない。ただの乗り換え駅。その駅の待合室で、ただひたすらに文字に起こす。
昨日、合宿が終わった。
最後のブロック合宿が終わった。
終わった後は、積極的に話しに行けず、感想をもらえなかったことだけが悔いだ。
でも、別に感想をもらえなくていいや。
みんなの顔見てたらわかる。
絶対に、今までで、一番いい合宿になってた。
そのくらいに自信がある。
この合宿を作れたことは、この合宿の運営をできたことは、きっとこれからもずっと、自分の自信と誇りになる。そう思う。
昨日の合宿が、誰かの人生の転機になるといいな
昨日の合宿が、誰かの心に響けばいいな
そんな大層なことは言いません。
ただ、みんなが、少しのワクワクとドキドキを持って帰ってくれたら。
ただそれだけでいい。
そう思ってた。
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私たちは、たった一瞬の2日間のためだけに、全てを捧げられるような人だ。
その儚さを、愛おしいと思える人だ。
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やりたくないとすらも思った。合宿の日なんてこなきゃいいとすら思った。なんで私が、とも思ったくらい。
こんなこと言えないけど笑
それでもやった
やるしかなかった
やらなければと思った
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追い続けた、追いかけられ続けた”4.8”という数字。
これは、忘れもしない去年11月14日と15日に創った合宿につけられた数字。
何度も何度も、思い返しては悔しかった。
ひたすらに合宿運営をした。
何度も何度も、すぐに消えてなくなってしまう2日間に懸け続けた。
その数字は、どうなっても越えられない壁だった。
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目指した目標は「全員から評価5をもらう」
私たちが、超えたい、じゃない、超えなければいけない目標があった。
超えられなかったこともあった。
悔しいとすら思う資格がないことだってあった。
自分の弱さと甘えで、泣くことすら許せなかったことだってあった。
苦しいことも辛いことも私の立場じゃどうにもならないことが続いた。伝わらなくて伝えられなくて伝える資格すらなくて、毎日泣いてた日もあった。毎日泣いて、次の合宿なんて考えられない時もあった。理由なんてしょうもない、今考えたらだけど。
それでも
そのときのわたしは
泣きながら苦手なslackを動かした
泣きながら苦手なスプレッドシートを作った
泣きながら色んなところに連絡した
たった一人だと思った。
あの時は、この合宿に全てを賭けてるのは自分だけなんだろうとも思ってた。
わたしは、強くなった。
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参加してくれたみんなにGoogleのフォームで書いてもらった合宿の評価。
評価質問は、たった1つだけ。
1から5までの5段階評価
相方が持ってた閲覧リンクは、自分に送ってもらえなかった。
それでいいと思った。
全員に5をつけてもらえる自信があったから、じゃない。
私だけでも、死ぬほど準備して死ぬほど頑張れば、100点の合宿が作れるくらいの実力はついたと思う。
でも、100点のものなんて要らない。
120点を、150点を、もっと上を目指せると思ったから。
相方と一緒に創る理由は、ただそれだけ。
もっとワクワクするきっかけを、もっと仲良くなれる原点を、探し求めるだけ。
だから、相方が最後に言った
「この合宿の評価が、全員5じゃなかったらTABIPPOを辞める」
という言葉に、頷くことができた。
聞けなかったあの時の評価
見れなかったみんなの声
それは、10月に相方言われたひとことで、全部わかった。
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「合宿、やるか。」
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オンラインが苦手だ
ミーティングも、1on1も、講義も、slackもLINEもTUNAGも、もうもはやTABIPPOの活動全てが苦手だった
そんなわたしの居場所は、存在価値は、ここだった。
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だからこそわたしは、この合宿が、いいものにならないと私がこれをしている意味がないと思っていた。
初めて大きく任せてもらった。
失敗するわけにはいかないと思った。
なかなかうまく進まなかった。
一人で仕切れないと思った。
一人で仕切るにはまだ早いと思った。
合宿中だったのに、悔しくてめちゃくちゃ泣いた11月の京都の全都市合宿で、身の程と実力を知ったから。
リーダーに、「あの経験をドブに捨てるのも糧にするのも自分だ」と言われた。
いつもいつも逃げ腰の自分は変わりたいと思った。
寝なくてもいい
ご飯なんかいらない
何もかもいらない
そんな前日、全てを掻き込んだ。
たくさんイメージした
何度も練習した
もう引き返せない
もう戻れない
崖っぷちのものを、最善を、最高を、創るための準備なら惜しまなかった。
ちょっとした不安をリーダーにこぼした前日深夜に返ってきた
「今更あがいてもどうにもならへんねん」
っていう冷たい言葉に、少しだけ泣いた。
一生忘れんし、一生許さないから。
それでもやるしかなかった
「なんでそんなん言うの」とか、言ってる暇はなかった
今の最高のものを、創るしかなかったんだ。
直前まで、リーダーからは、いつもかけてもらえるような温かい言葉はなかった。
「絶対盛り上がるから大丈夫」
とか
「お前らしくいけよ」
とか。
そんな言葉を、期待していたけど、なかった。
ピアノのコンクールでさえ、厳しかった先生に、
直前は「あんなに練習してきたんだから大丈夫」という言葉をもらっていたのに。
でも別に、よかった。
リーダーだって第二コンテンツ、第三コンテンツの準備で忙しい。
わたしに構ってる暇なんてない。
それも大きな理由。
多分、表面では、わたしの第一コンテンツがうまくいくかどうかの不安はあったと思う。
でも、うちのリーダーは、本当に不安なら、もっとわたしを激励して、今のベストを出してもらおうと私に対してパフォーマンスをする。
わたしの機嫌を取るためだけの優しさなんて要らなかった。
少しのアドバイスとおにぎりだけもらって、最後の合宿が始まった。
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たくさんの人が輝いた合宿だった。
たくさんの人に贈り物ができた合宿だった。
わたしの居場所がここにあると思った合宿だった。
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そんな大層なことが、叶う合宿だった。