わたしの、”のこる”イベント
わたしは2年間TABIPPO学生支部というところで活動をしてきた。
とっても懐かしい。もう今は卒業した。
1年目は、とにかく挑戦させてくれた環境で、とってもカラフルな”大阪支部”。
2年目は、とっても豊かで暖かくて、くもみたいな場所だった”Bブロック”。
この2年間でわたしは、たくさんのイベントとおもに”合宿”を作ってきた。
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一番最初の合宿は、めっちゃ楽しかった。運営はしんどかった。
一番最後の合宿は、めっちゃ楽しんでもらった。
きてくれてた人、覚えてくれてたら嬉しいんだけど、今でもあのゲーム、「JOKER」は、自分の誇りだし十八番。特許申請しようかな笑
これは、1番最後の合宿が終わったときにいちばんに書いたnote。
幾度となく合宿やイベントを作らせてもらって、その最初から最後まで、作ってきた合宿のテーマやタイトルは、何も見なくてもスラスラ言える。たぶん、日付まで言えるんじゃないかな?
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そんな中でも、鮮明に覚えてるのが、初めて、わたし1人にコンテンツを任せてもらったときのこと。
京都の田舎のほうで、全都市のみんながくる合宿の、1日の終わりの夜にやるコンテンツを任せてもらった。
嬉しくて嬉しくて、気負って、ぺしゃんこになって、それでもやりたくて
たくさん書き出したのを覚えてる。
何を言っても、リーダーに
「おもんなそう」
「え、で?」
って返ってきて、その度にわたしの書いたメモは山積みになっていった。
少しの妥協も、許してもらったことはなかったし
わたしの甘い態度や甘い考えに何度も怒らせたし
わたしのアイデアに手加減なしでフィードバックするような人だった。
これが面白いって思ってもらえなかった悔しさや
見当違いな考えを持っていた恥ずかしさや
シンプルに怒られた怖さや
いろんな気持ちで、ぼろぼろ泣いた。
合宿の3日前に「今日テーマ決まらなかったらコンテンツから降ろす」って言われて、帰りの電車の中でこれでもかと必死に書き出した。
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その時に「これだ!」ってなったものがある。
無我夢中に、端末を殴るように、メモに走り書きを繰り返した。
夜、大阪駅から帰っていた電車は、王寺駅というところでなぜか大和路線に向かう車両は切り離され、わたしはそのまま和歌山線に乗せられたまま気づかず、見ず知らずの無人駅にいってしまった記憶とともに。
それが、あの日あの夜、わたしが作ったコンテンツ。
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時は過ぎて今年の1月、ひとつの連絡に驚いた。
そんなコンテンツの
殴り書きだったiPhoneのメモを見たいというひとが出てきた笑
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2年前の9月の小2時間を、今になっても、覚えてくれてる人がいる。
それだけじゃなくて、そのときの運営の思いであるメモを見たいと言ってくれる人がいる。
たったひとり。じゅうぶんだ。
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正直その夜のコンテンツは、リーダーにすごい怒られたし、
結局最後までできずにバトンパスしたからわたしが運営しきれなかったし、
泣いてしまったから切り替えられるまでは戻れなくてずっとずっと草むらで泣いてて、頭の上にはずっとバッタが乗ってた。
だからあのコンテンツは、自分の中では「成長過程」だとか「失敗も成功のうち」だとかっていう認識をしてた。
でも、1年半の年月を超えて、誰かの心に、コンテンツだけじゃなくて、想いそのものが残っていたことを知って、わたしのまた新しい一つの「誇り」になった。
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”Beyond the Blocks"
というテーマで企画した全都市合宿の中で
”Beyond YOURSELF”
というタイトルで作りました。
わたしが合宿で出せる色は
わたしにしか出せない色は
「のこる」ことなのかもしれない。
新しい誇りと、わたしに自信をくれてありがとう。
♡Special Thanks ♡