女性は「必要」とされなくても存在する
「メリット」、「必要性」、「価値」
「女性活躍推進」とGoogleの検索エンジンに書き込むと予測のトップにあがってくる関連キーワードの数々。
仕事でも、新しいプロジェクトが始まる度に必ずと言っていいほど聞かれる、「女性活躍推進ってメリットあるんですかね?」という問い。
大学院同期と「東大の女子学生比率はなぜ二割を超えないのか」という話をしていた時に彼が口にした「女性比率が高まることの必要性を多くの人にわかってもらわないとだよね」という感想。
「ジェンダー平等のメリットって?」
「女性管理職を増やすと会社にとって何かいいことあるんですか?」
「男女共同参画の価値って何?」
一見妥当な問いのように聞こえるかもしれないけど、私はどれも問いの立て方が間違っていると思う。
私たち女性は社会や組織の「価値」のために生きている訳ではない。「必要」とされなくても、そこで息をし、生きている。存在している。
そうやって考えると、世の中半分は女性なのに、企業の管理職や意思決定層、政治家、東大の学部生となった途端、男女比が極端に偏り、社会全体における男女比とあまりにも乖離してしまう状態が不自然、と捉えるべきなのではないか。
私たちが問うべきは「なぜ女性が必要なのか」ではなく、「なぜ女性がいないのか?」だと思う。
社会に必要とされていようとされてなかろうと、メリットがあろうとなかろうと、女性は存在するし、生きている以上、男性と同じ人権を持ち合わせていて、例え社会に「価値」をもたらさなかったとしても、尊いものだし、守られるべきものなんじゃないかといつも思う。
そしてこれは「女性」を他のマイノリティーや弱い立場にある人に置き換えても同じことが言えるはず。
だから、今度「女性を増やすことのメリットってなんですか」と誰かに聞かれることがあったら、
「社会や組織に男性がいることの価値ってなんですか?とご自身で問われたことはありますか」と逆に聞いてみようと思う。