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INI 「THE FRAME」と一緒に考える。わたしを囲う枠のこと。


「若いのにかわいそう」
「生きているだけで偉いよ」
「言いたいことあるなら言わないとわからないよ」

最近言われた言葉である。
わたしは言われたときから立ち尽くしていて、置いていかれている。

偉くなくていいので、地上で息をして楽になりたい。
言いたいことがないのではない。すぐ言葉が出てこない。出てこないと無かったことになる。それは場所によっては劣っているとレッテルを貼られる。
若さという言葉はときに暴力になる。そう思っている。ずっともやもやしている。
相手に悪気がないことも分かっている。
それでも、その言葉で傷ついた自分がずっと救われないまま立ち尽くしている。

そんなとき、ぱっと思い浮かんだのはINIの許豊凡さんのブログだった。4月25日に公開されたファンクラブのブログ。最近リリースされたTHE FRAMEにも繋がる内容だった。(有料コンテンツなので、文章はぜひブログでよんでほしい。)もう一度しっかり読み直して、気がついたらしくしく泣いていた。

立ち尽くしていたわたしをやさしく抱きしめるわけでもなく、走って手を引いていくわけでもなく、ただ隣にいてくれる感覚になった。

わたしは過度の労働から、2月に適応障害と診断されて新卒で入社した会社を1年足らずで退職した。繁忙期の12月、人手不足も重なって毎日残業していた。社会人1年目のわたしは、重い足をずるずると引きずって会社に行き、またずるずる引きずって家に帰るだけの生活だった。ひとり暮らしをしていたので、家事もままならず、好きだった読書もしたくなくなって、休日は誰にも会いたくなくなっていった。ずっとお腹が痛かった。
そんなとき、唯一見ることができたのは会社の同期にすすめられた、PRODUCE 101 SEASON2だった。最初はぼーっと流し見していたのだけれど、気がついたら夢中になって、土日はずーっと見ていた。平日の仕事も、帰ったらプデュ見ようという心持ちがだいぶ支えてくれた。そこからデビューしたINIのことが気になって、INIフォルダをはじめ、パフォーマンスもチェックするようになった。
↓(12月はこの動画ばかりみていた。気持ちよいくらい揃っていて大好き)

その後も、仕事が辛い日々が続いたけれどINIのコンテンツだけは見ることができた。とにかく優しいし、傷つかずに気がついたらほっこり笑えるし。毛布みたいだった。優しい温かい毛布。
2月に体調的に限界を迎えたので、休職の末わたしは退職した。ストレスで、ありとあらゆる不調がではじめ、ひどいめまいに襲われ電車も乗れなくなって、人とご飯にお店に行くだけで動悸がするようになってしまった。
これ以上頑張って、ぼろぼろの身体に何が残るだろう。すごく迷ったけれど、辞めた。今は体調も徐々に回復しつつあり、
書くことがとても好きなので、どうにか仕事にできないかなと模索している。

はなしが逸れてしまったけれど、
病気になって、できないことは増えたし、それでも死ぬもんか!と生きようとしている。体調不良で会社を休んでいたこと、辞めたことを話すと「あら、若いのにかわいそうに」って本当によく言われた。言ったその人を責めたいわけではないけれど、若いのにかわいそうって面と向かって言われると、人生の床が落ちる感覚になる。石を投げつけられて、下敷きになっている。
若さという1つの枠の中のひとりとされて、その中で「あなたはかわいそうな人だね」という眼差しを向けられてとても苦しい。人の生を、かわいそうって他人が決めつけることは暴力だ。それは幸せそう、や、楽しそう、もそう。決めつけは暴力だと思う。
だから聞く必要がある。つらいですか?幸せですか?たのしいですか?ちゃんと確認する必要がある。そのために人と人は関わり続ける必要があると思っている。

決めつけを受けてきた、とアピールしたいんじゃなくて、ちゃんと言葉の枠も壊してアップデートしていかないと、大袈裟ではなくて今の社会でどんどん死んじゃう人が増えてしまうんじゃないかなって最近震えてる。
だから、このタイミングでのINIのTHE FRAMEの「僕らを囲う"THE FRAME"を壊す」というコンセプトについて、わたしはINIと一緒に考えている。

彼らの表現に目をこらして、声に耳を傾けて、
それじゃあ「わたしはどうだろう?」と問いかけている。

ほんとうに勝手ではあるけれど、隣にいるような感覚にさせてくれるのは、彼らが彼ら自身に自問自答していることを表現に変えてくれているからと思う。メンバーが制作に関わっていることもあり、歌詞やMVからも本気の問いかけを感じる。囲う枠を壊すにはどうするか、その答えを彼らも探しているように思う。君も探しているよね。一緒に探そうか。という優しさも彼らにはあるようにわたしは思っている。

きっと偏見やステレオタイプは無意識にすり込まれていることが多いと思う。それで人を傷つけてしまったり、傷ついたりする。失敗することもある。知らぬうちに、誰かを枠の中に収めようとしてしまうこともある。

傷つけてしまったことに気がつけたら、勉強しよう。
傷ついたのならば、声に出せなくても得意な表現に変えよう。
INIの楽曲と姿勢からそんなメッセージをわたしは受け取った。

だからわたしはすぐ言葉が出てこなくて黙る代わりに、書いている。思い込みだよって言いくるめられる前に、自分の言葉を持って、書きかえていく。そうやってわたしを取り囲む枠を壊していけたらと、LOUDを聴いて今日思った。



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