若き日のおでん回想録
私が二十歳のとき地元九州を離れ上京していた頃のおなはしです。
32年前ですが臨海副都心の建設ラッシュで、バブル経済の最盛期で建設業が儲かっていたころ、
土木工事で朝も早くて夜も深夜まで働いていた
今でこそ(ブラック企業)なんて呼ばれてる仕事
だったのですが、当時はそんな言葉はなく、
ごく普通にありました。まだ若い俺は、
ジジイたちから、惜しげもなくこき使われ^_^
ヘトヘトだったのですが、お構いなしですね
不規則な生活ルーティーン
仕事も終わりかけたときには22時も過ぎて、放心状態なので一人暮らしの俺には夜食といったら
即席ものか?コンビニ飯(当時は美味くない)
ぐらいかなぁー⁉️若いので結構食べます^ ^
仕事の車で首都高乗って川崎の自宅に帰るんだけど、そんなときに屋台の「おでん」の提灯🏮が
目に入ります🍢🍡😂
ちょっとした路地にある屋台に帰り道に立ち寄り
お酒🍶呑みながら、ジジイ達と喰ってました、
そんなジジイ達が、疲れ切った俺を見兼ねかのか
いつもおごってくれたのです。嬉しかったぁー
寒い日はココロに染みます
今でも良く覚えてます。寒い季節になると😨
今でもおでん🍢で呑みますが、泣けてきますね
おごってくれるジジイ達に気を使い、安い練り物ばかりたべてたら、牛すじとか俺の皿に盛ってくれる秋田から来た出稼ぎの人がいて、家族の話してくれるんだけど、ニュアンス的に言ってる言葉はなんとなく理解できた程度でした。
まあ、俺も九州なまりがあったので🤭似たもん同士でしたけど、、、、、、d( ̄  ̄)
出稼ぎ労働者の哀愁
あの頃は東京は臨海の開発ラッシュだったのですが、北陸や東北からの出稼ぎの親父がたくさんいましたし、一人暮らしでも寂しくはなかった気がします。そんなジジイたちと食べるおでんの味は
一生忘れることができないでしょうね( ^ω^ )
いまもあるのでしょうか?気にはなりますが、
それではまたお噺しますね💤💤
ありがとう😊とてもうれしいですこのページがあなたの日常のお役に立てていただければ幸いで御座います撮人詩でした。