ていねいに生きる(2)
アンダルシア山中で遭難しかけた際、夢の中に現れたもう一人の自分が僕に言った言葉、
「ひとつしかないその命を粗末にするんじゃない。もっとていねいに生きろ!」
一度限りのこの世での自分の人生、どうやってていねいに生きていくべきなのか…?
今回はその具体的な方法を紹介しよう。
1)なりたい自分・生きたい生き方
ていねいに生きるためにできること。まずは自分に素直であるということ。
我慢や犠牲はいらない。内なる自分と対話を重ねながら、自分の心の声に耳を傾けよう。
まずは、自分自身が何を求めているのかを明らかにするところから。
50歳になる前に僕は長年やってきた教師という仕事を離れた。
仕事はやり甲斐があって面白かったのだが、自分をコントロールできなくなり始めたところから、いわゆる過労から睡眠障害のような症状を引き起こし、体は元気だったのに心が半ば病んでしまったのだ。
いろんな我慢をして犠牲を払ってきたのかもしれない。
2010年3月、思い切って仕事を辞めた。
しばらくは好きなことだけやり続けた。
読みたい本を読み、見たい映画を見て、聴きたい音楽を聴いた。料理や買い物も楽しんだ。時間はもちろん貯金もあったしわずかながら退職金ももらえた。経済的に不自由することもなかった。
仕事で家庭を犠牲にしたことは悔やまれるが、再び独身に戻って完璧なる自由を得たような気がした。
元気を取り戻したら旅に出たくなった。それで、2本の脚で走って北海道宗谷岬から沖縄波照間島まで日本縦断ランニングの旅に出た。
計画もなし。好きなところを訪ねて気に入った場所には何連泊もして、いろんな経験を積んだ。この旅で得られた出逢いや発見、気づきや学びが今の自分を形成するきっかけとなっているということは間違いない。
50歳というのは人生100年だとしたらちょうど半分。マラソンでいう折り返し地点。
残り半分を楽しまなければ、せっかくこの世に与えられた一つの命で一度限りの人生を生きていくのだとしたら、まずはこの世での自分のミッションを知ること。そしてそのミッションを遂行するためにあらゆる努力と工夫を怠らないこと。
好きなことをやるのはもちろんだけど、やっていることそのものを楽しめなければ意味がない。
だから、やっていることが楽しくなるようにいろんな方法・手段を考えるのだ。
糸口を見つけたら、必ず楽しめるものが見つかるはず。今までやってきた趣味や経験から自分が好きなもの・面白そうなものを再度取り組むのもいい。今まで楽しんできたのならそれを継続しよう。今までとは異なるやり方を試すのもありだ。
2011年、仲間の協力もあってPEACE RUNというプロジェクトをスタート。僕はアドヴェンチャー・ランナーという肩書きをつけて、PEACE RUN世界五大陸4万キロランニングの旅をスタートさせた。
この13年間、いろんな紆余曲折を経てきた。もちろんいいことばかりではなかったが、すべてはゴールに続く道のり。途中経過もすべて楽しめばいい。
ていねいに生きるためには、人生で起こり得るありとあらゆることを快く心地よく受け入れることも必要だ。
嫌なことから逃げようとしても嫌なことは必ず追いかけてくる。問題となるものはその時点で解決しておかなければ、後になって形を変えてまた問題として浮上してくる。
トラブルやハプニングでピンチに見舞われたとしても、それは自分が試される場面。それをクリアして次なるステージに上がっていくのだから。
ひとりではできないことも、求めれば必ず協力してくれる人が現れる。サポーターの存在は大きい。自分もまた誰かのサポーターになり得るということも忘れてはいけない。
嘘偽りのない自分でいられること。自分に対しても人に対しても正直で誠実で謙虚であることが何より。
目の前にいる人は自分自身の分身だと思えれば、どんな人にも優しくいられるはず。
アナログの時代は、面と向かってのコミュニケーションが当たり前だったが、デジタル時代の今はオンラインのコミュニケーションが中心となってしまって、実際思っていることや考えていることがうまく伝わらないケースも多いようだ。
なりたい自分になる、生きたい生き方を実践するのは夢を叶えるということ。
夢を叶えるのであれば、どんな時であっても妥協はしない。今あるベストで最高の自分でいられるように、100パーセント自分らしく、あるがままありのままの自分で夢を叶えようではないか。
(つづく)
*アドヴェンチャー・ランナー高繁勝彦のメルマガ「週刊PEACE RUN(第658号)」から一部リライト