「感情を言い訳に利用してはならない。つべこべ言わずに、やるべきことをやるのだ。あなたがどう感じるかなど、関係ない」
行動に感情は必要か?
「感情は人を活動の傾向へと強めるのである。しかしわれわれが常に行っていることは、感情を伴わなくても行えることである。感情は、このようにわれわれの行動に付随したものにすぎない」とアドラーは言っています。
具体的には、仕事上やプライベートの目標は感情がなければ達成できないものなのか?ということだと思います。
課題達成のための行動を、喜んだり、悲しんだり、怒ったりしながらやっていますか?ということです。
感情とは、その行動の結果として湧いてくるものだと思います。
感情がなくても行動できる
以前にも書いたように、感情は自分の背中を押す行動の増幅装置です。
人は進む方向に自信がないときに「常に自分の態度を感情によって正当化しようとする」のです。
であるならば、感情は、どうしても必要なものである、とは言えません。
無理に背中を押さずとも、淡々とやるべきことを実行すればいい。
どうしても躊躇することがあるならば、その方向性をコモンセンス、すなわち共同体感覚に沿った方向へ修正すればいい、とアドラーは言っているのです。
感情が行動しない口実になる
そして、往々にして、感情が「課題解決を避けるための口実」として使われることを指摘しています。
悲しみ、不安などを創り出し、課題から逃げるコンプレックスの道具として利用する、とアドラーは言っています。
noteで毎日記事を書くこと
アドラーの言葉を、毎日自分に当てはめて記事にしてアップしているのは、アドラー心理学を、自分なりに探求して身に着けるために、インプットだけではなくアウトプットしていこうと、自分で決めた課題です。
この課題を継続していくために感情は必要か?と考えてみると、確かに感情は必要ないことに気づきます。
むしろ、毎日仕事で疲れているのに、記事を書くのが「辛い」という感情が大きくなると、課題解決を避けて執筆をサボる口実として使われるかもしれない、と想像してしまいます。
心しておきたい言葉
「しなければならないことというのが肝心なのです。あなたがどう感じるかは問題じゃありません。感情は理由になりません」
心しておきたい言葉ですね。
感情を「やらない言い訳」に使うのをやめよう。