「共同体感覚は生まれつきのものではない。誰もが皆、平等にその種を持って生まれてきている。親や教師は種に水をやり、太陽に当てなければならない」
学校
「学校は、子どもが学校という社会的な課題にどれほど準備されているかを示す実験、試験です」とアドラーは言っています。
「学校で子供が、社会とその問題に適応しているかどうかが、明らかになる」と言うのです。
共同体感覚の高低
共同体感覚が高いか低いかは、生まれつきでも遺伝でもありません。
共同体感覚がゼロのまま生まれる子どもはいませんが、逆に共同体感覚が100年時代%で生まれてくる子どももいません。
アドラーは、誰もが等しく共同体感覚の「種」を持って生まれてくる、という趣旨のことを述べています。
その種を、それぞれの家庭や学校で発展させ、花を咲かせ、実をつけさせる、それが教育だというのです。
高低の違いは原因論か?
生まれた時は種を等しく持っているかもしれませんが、残念ながら親や教師の影響を強く受けてしまいます。
今話題の、親ガチャ、教師ガチャ問題ですね。
種に毎日欠かさず水をやり、暖かな太陽を浴びせ肥料をやる。
たっぷりと世話をする親や教師もいれば、残念ながらその逆の親や教師もいることでしょう。
過去で共同体感覚のあるなしがきまってしまっては、フロイトの原因論が正しいことになってしまいます。
共同体感覚は成長する
しかし共同体感覚は、過去に縛られることなく、本人の考え方次第で高くできるものです。
子ども時代の親や教師の関りで、共同体感覚が低いまま大人になってしまった人も、アドラー心理学を学び、自己中的な思考をやめて、他者を優先して貢献し、そのことで幸せを感じることができるようになったら、共同体感覚は高くなります。
教育
周囲の人々が共同体感覚という花を咲かせるということ、それが教育です、
子どもの共同体感覚が低いことを遺伝のせいにて、親や教師が教育をサボってはいけないのです。
誰もが生まれつき持っている「共同体感覚の種」に欠かさず水を与えよう。